2007年09月12日
パト・フー インタビュー!

(写真:POKEBRAS)
新作『Daqui Pro Futuro』、さらにボーカルのフェルナンダがソロとしてリリースするナラ・レオンのカヴァーアルバム(タイトル未定)の2作をひっさげてパト・フーが来日!
フェルナンダは終始リラックスした様子で、時折勉強中だという日本語を披露してくれました。
パト・フーのギタリストでもあり夫のジョンもともに来日。二人によるアコースティックライブは日本人ファンのみならず、日本で暮らしているブラジル人にとっても貴重なライブとなりました(→ライブレポート)。
来日は2回目ということですが?
F(Fernanda):今回はパト・フーとして来れて音楽活動ができてとてもうれしいわ。ロナウド・フラガ、大洋レコードでの新作リリースのおかげね。前回は観光だけだったから。日本語が話せなくて悲しかったし…あれから奮起して今は日本語の勉強をしているの!今回はブラジルで勉強した日本語を使うこともできるし、とても満足しているわ。
今回の新作について教えてください。「daqui pro futuro」ではヴィンテージ楽器をたくさん使っているようですが…
J(John):使ったシンセ自体は最新のものだよ。前はエレクトロニカ音楽を作るためにシンセを使っていたけど、今はどんどん使い方が変わってきているね。最近は古い感じの曲を作るために最新の機材を使うっていう面白い現象が起こっているんだ。
「Made in Japao」のサビの部分は「Mana-mana」のカヴァーです。その当時、日本でも「Mana-mana」は渋谷で流行っていましたが、あなたたちが1999年に「Mana-mana」を取り上げたのはどうしてですか?
F:あの曲はTVの人形劇のテーマソングだったのよ。わたしたちは頭に焼き付いて離れないようなサビにしたかったの。あの曲がリリースされて、ブラジル人が日本語の歌詞を真似して歌ってくれたわ。イタリアでもすごくヒットして、当時のヨーロッパのMTVでもたくさんPVが流れたのよ。
日本のアーティストでは誰が好きですか?
F:ピチカートファイブが昔から大好きなの!今回の来日で少しコネクションができそうだから、ぜひ一緒にレコーディングしてみたいわ!
あとはコーネリアスとか、少年ナイフはピチカートファイブより前から聴いていたわ。最近はブリリアントグリーンやフジファブリックもよく聴いているわ。昔はCDを見てもアーティスト名が読めなかったけど、最近ではひらがな・カタカナが読めるようになったからもっとたくさんのアーティストについて勉強できるわね!
今回参加したBrasil Fashon Nowについて教えてください。デザイナーのロナウド・フラガもミネイロですが彼とは昔から知り合いだったのですか?
F:もう10年くらいの付き合いになるわ。1998年に"Antes que Seja Tarde"のビデオクリップを一緒に制作したのがはじまりで、その後は彼のショーで色んな曲を歌ったの。今回はソロ・アルバムとしてわたしがナラ・レオンのカバーアルバムをリリースすることになって、ロナウドがショーで歌ってほしいといってくれたのはその後よ。
個人的にはどんなブランドを愛用していますか?お気に入りのブランドは?
F:ひいき目なしでロナウドの服は大好きなの。持っている洋服の半分以上は彼がデザインしたものよ。一番のお気に入りね。あとは日本にも直営店がオープンしたばかりのアレシャンドレ・ヘルコビッチの服も大好き。あとはMarcelo Sommer、Coven、Ave Mariaなどは気に入ってよく着ているわ。
最後にPOKEBRASユーザーのみなさんにメッセージをお願いします。
コンニチハ!フェルナンダです! 日本のみなさんにもブラジルの音楽を通じて文化を理解してもらいたいと思っています。これからどうぞよろしくね!
どうもありがとうございました!
インタビュー:POKEBRAS 宮下麻未
取材協力:有限会社大洋レコード、麻生雅人、Willie Whooper
●お知らせ●
※インタビューの模様がTV・ラジオでオンエアされます!
[TV]
「Lucy's Room」
放送局:MUSIC AIR
http://www.musicair.co.jp/program/lucy/
10月放送予定
[RADIO]
「MUSIC FILE:Radio Brisa Brasileira」
放送局:STARdigio
http://www.stardigio.com/station400/
10月18日(木)22:00-23:00
2007年09月07日
アザ・ヂ・アギア インタビュー
第2回ブラジルフェスティバルのために来日したバイーアの人気バンド、アザ・ヂ・アギア!
フェスティバルを前に直撃インタビューしました。

- 今回の来日は何回目ですか?期待することはどんなことですか?
今回が初来日だよ! 最高のショーにしたいと思っているよ。日本にサルヴァドールのカーニバルをそのまま再現するつもりでいるんだ。
- 演奏する予定の曲をちょっとだけ教えてください。
アシェーからフレーヴォまでバイーアの音楽は何でもやろうと思ってるよ。僕らのキャリアはちょうど20周年を迎えたところで、記念盤もリリースされたからその収録曲もね。
- フェスティバルにやってくるブラジル人のお客さんやブラジルに行ったことがある日本人のお客さんが"サウダーヂ"を感じるようなショーになると思いますか?
もちろんだよ!僕らはブラジルのエネルギーをそのまま持ってきたんだ。僕らの音楽にあるメッセージだけじゃなくて、今回のショーで日本とブラジルが僕らの音楽を通じてリンクしてくれるようになればうれしいと思っているよ。
- ジョルジ・ベンやジルベルト・ジルのカバーもやる予定はありますか?
ジョルジ・ベンの「Pais Tropical」は歌おうと思っているよ。ブラジル音楽界の代表的な曲だからね。あの曲はジルと一緒に歌って、DVDにも収録されているんだ。
フェスティバルを前に直撃インタビューしました。

- 今回の来日は何回目ですか?期待することはどんなことですか?
今回が初来日だよ! 最高のショーにしたいと思っているよ。日本にサルヴァドールのカーニバルをそのまま再現するつもりでいるんだ。
- 演奏する予定の曲をちょっとだけ教えてください。
アシェーからフレーヴォまでバイーアの音楽は何でもやろうと思ってるよ。僕らのキャリアはちょうど20周年を迎えたところで、記念盤もリリースされたからその収録曲もね。
- フェスティバルにやってくるブラジル人のお客さんやブラジルに行ったことがある日本人のお客さんが"サウダーヂ"を感じるようなショーになると思いますか?
もちろんだよ!僕らはブラジルのエネルギーをそのまま持ってきたんだ。僕らの音楽にあるメッセージだけじゃなくて、今回のショーで日本とブラジルが僕らの音楽を通じてリンクしてくれるようになればうれしいと思っているよ。
- ジョルジ・ベンやジルベルト・ジルのカバーもやる予定はありますか?
ジョルジ・ベンの「Pais Tropical」は歌おうと思っているよ。ブラジル音楽界の代表的な曲だからね。あの曲はジルと一緒に歌って、DVDにも収録されているんだ。
2007年05月21日
ペルラ インタビュー!

- 日本の印象はどうですか?
日本ではわたしが初めてファンキ・カリオカのショーをしたアーティストなのよね!そのことがまずすごくうれしいなと思ってる。わたしが思っていた日本のイメージとはだいぶ違ったけど…忍者も芸者もいると思ってたし!(笑)女の人はあのキモノ、っていうの?あれを着てると思ってたわ。すごくきれいで憧れてたし…。でも全然違うのね。実際見かけた女の子のファッションはすごくかわいいと思ったけど。
- 日本でのデビューについては?
考えてもいなかった!わたしが夢みていたことはね…まずリオデジャネイロのラジオで自分の曲がかかること。シンプルにそれだけだったの。リオを離れてサンパウロへ行くことも、まさか日本に来るなんてことも想像すらできなかったわ!わたしはファヴェーラに住んでいたし、リオを出ることだって一大事よ。タクシーだってほとんど乗ったことなかったのに、飛行機に乗って外国へ行くなんて考えられる!?
- 本国でのデビューにいたるきっかけとなったのは?
音楽活動は小さい頃からしていたの。デビューする少し前はバッキングボーカルをしたり、デモのデモを作ったり。突然誰かがファンキをやってみないかっていうアイディアを出して、それで試しにレコーディングしてみたの。全ては突然のことだったわ。その曲を聴いてもらうためにDJ マルボロがプレイしていたクラブに行って、わたしIDカードを忘れちゃって入れなかったんだけど(笑)、入り口で待っていたら彼が現れて、すかさずデモを渡して…そしたら彼はわたしの曲をかけてくれて、リオデジャネイロのラジオ番組「Rebola」でプレイされて…。友だちや仲間がラジオ局にたくさん電話してリクエストしてくれてね。一度かかってからは仲間の協力なしでひっきりなしにかかるようになって。そんな感じ。
- "Totalmente demais"はブラジルのTVドラマの挿入歌になりましたね?
アルバム『Eu Vou』完成直前になって急に舞い込んできた話でね、DJ マルボロが「ペルラ、君しかいないよ」って言ってくれたの。だからこの曲はアルバムの中で一番最後にレコーディングされた曲なのよ。この曲をテーマにしたキャラクターがTVに現れる度にわたしの曲がかかって…感動的だった!
- ペルラにとってのファンキ・カリオカとは?
ファンキ・カリオカはいつも偏見と戦ってきたジャンルの音楽。まぁ今でも嫌いな人は絶対聴かないわね。そういうジャンルよ。でも前と比べてそういう偏見や古いイメージは変わってきてる。ファンキ・カリオカはファヴェーラの現実をそのまま音楽にしたものなの。大げさでもなんでもなくて、すべては本当にそこで起こっていることよ。わたしにとっては楽しくてにぎやかで…ファンキ・カリオカを歌うのはすごく楽しいし、みんなにとってもそうであって欲しいと思ってる。
- ありがとうございました!日本でのファンキ・ブームがますますアツくなるのが楽しみですね!
バイオグラフィー
歌い始めたのは4歳のとき、プロテスタント教会の中。15歳のときマォンジーニョとウンベルトにスタジオで知り合い、ふたりはその少女の歌声に魅せられる。
デモテープを作り、DJ マルボロに手渡すことに成功。マルボロは聴いて気に入り、「Tremendo Vacilao」が『Bem Funk』という彼のコンピレーションに入りスマッシュヒットを記録。
次の「Totalment Demais」は、TV Globoのドラマ「Cobras e Lagartos」でタイース・アラウージョが演じたエレンのテーマとなった。CDの中のもうひとつのカバー曲はルル・サントスの「Tudo Bem」。「私はLuluが大好きなの。最高の出来になったと思うわ。」と語る。アルバムには書き下ろし曲、カヴァー曲のほかに、「Eu Vou」、「Groove Dance」のリミックス曲も含まれている。
本名:Perla da Silva Fernandes
生年月日:1988年11月28日
星座:射手座
好きな色:ピンクと白
好きな料理:ごはん、フェイジョン、ステーキ、フライドポテト
おすすめの旅行先:Rio das Ostras
おすすめの本:「O Guarani」ジョゼ・アレンカール
印象に残る映画:「タイタニック」ジェームズ・キャメロン
夢:歌手としてキャリアを積むこと
メッセージ:「今起きていることは、全部愛情をたくさんかけて練られてつくられたものです。私がこれから発表していくことはさらにいいものになると思うし、みなさんがとても好きになってくれるものだと信じています。」
→ペルラ 来日公演レポート (W.W.のAGORA SIM! 2007/05/18)
協力:B.SUN Records
2007年05月21日
ピティ インタビュー!
- 今回日本でリリースされるアルバム『Brave New Chip』について教えてください。アルバムのテーマはどのようなものですか?
ピティ:これといって具体的なテーマがあるわけではないの。ひとつひとつの曲はそれぞれ違うテーマをもっているし…どの曲も同じ時期に作られたものだからなにかしらのつながりはあると思うけど。わたしたちバンドにとってはプロとしての初めての作品だったしね。
- 影響を受けたアーティストはいますか?
わたしたちはバイーア州のサルヴァドール、そのなかのアンダーグラウンドから始まったバンドなの。みんなそれぞれ違う系統のバンドを持っていたから、メンバーのバックグラウンドはそれぞれ違う。わたしは80年代のハードコアなのが好き。例えばレッド・ツェッペリンとかブラック・サバスとか…あとはビリー・ホリデイみたいなジャズも聴くし。ミューズとかクイーンズ・オブ・ストーン・エイジもいけるし。
- 今回初来日となったわけですが、日本の印象はどうですか?
ピティ:すっかり気に入ったわ!街に出る時間があんまりなくてまだきちんと見てないところもあるけど…。外国に行くときは基本的にあんまり特定のイメージを抱かないでものごとを見ようと努力するの。偏見やイメージで勝手な印象を持たないようにするためにね。
これまでの滞在でわかったことは、日本の人って本当にきちんとしているし、みんなとてもよくしてくれるし、わたしたち感動しっぱなしなの。周りのことを一番に考えて行動する人が多いわね。
マルティン:びっくりしたのは、東京はこんなにも大きな都市なのに隅々まで手入れが行き届いているよね。例えば今僕たちが住んでいるサンパウロは街を成長させることばっかりに一生懸命でごみや公害のことは気にも留めない。東京がとってもきれいなのに驚いたよ。
ピティ:自動販売機とか(笑)いろんなものがボタンひとつで買えちゃうのね!!あとは女の子のファッション。みんなすごくオシャレだと思った。ファッションも自分を表す一つの手段でしょ。日本人の女の子はファッションを通して自分を主張することをちゃんとわかってるなって。
- 昨日のショーは本当にすばらしいものでした。バンドとしてはどうでしたか?
ピティ:(日本語で)「スゴーイ!」(笑)。すっごくよかった!まずステージ。規模もわたしたち好みだったし…わたしたちはお客さんの顔がちゃんと見えるくらいのステージで演奏するのが好きなの。ステージに送られてくるエネルギーを感じたいっていうのが一番ね。
1stステージではね、時間の関係でお酒を買えなかったらしんだけど、お客さんの一人が「ビールが飲みてぇぇ」って叫んだから、わたしたちビールが入った缶をステージから観客席に放り投げたの!すっごく楽しかった(笑)歌詞を覚えて一緒に歌ってくれるなんて思いもよらなかったし、もう興奮した~!
こんなに遠くにいるのに、サンパウロかリオでライブをしているかのような気になっちゃった。
- アシェーのイメージが強いバイーアで暮らして、あえてロックを選んだ理由は?
ピティ:…わたしたちちょっとぶっ飛んでるのよね(笑)まぁそれは冗談だけど…。いつも言ってるのはね、「わたしたちがロックを選んだんじゃない。ロックがわたしたちを選んだんだ」ってこと。わたしたちの心の奥底にあるもの、行き方、人生のゴール…そういうこと全てがロックにはあった。アシェーのバンドで歌ったこともあったけど、なんか違うって感じだった。 - こうしてバイーアを出てロックバンドとして国内で大成功を収めているわけですが、成功の理由となったものは何だと思いますか?
ピティ:デビュー当時(2003年)は音楽的にあんまりいい年じゃなかったの。メインストリームでかかってる音楽はとっても商業的だった。そこをいくと、アンダーグラウンドからでてきたわたしたちの音楽はメロディも歌詞も全部ホンモノ。そういったことがリスナーに伝わったのかな。
- ブラジルでは現在2枚目のアルバムがリリースされていますが、次のリリース予定はありますか?
ピティ:まぁ、いつかはね…(笑)
ドゥーダ:来年はDVDをリリースする予定だよ。アルバムがリリースされるとしたらそのあとだね。
ピティ:アルバム1枚1枚は、じっくり時間をかけて聴いてほしいと思ってる。『Brave New Chip』に収録されてる11曲のうち、7曲がシングルカットされて、2枚目の『Anacronico』はすでに4曲がシングルカットされてる。アルバムを1枚出したら、次は絶対に違うことをしたい。前に作ったようなアルバムを出すのはいやなの。時間をかければかけるほど、自分の中にあるものが変わっていくから作品も自然と変わっていくでしょ。バンドが売れているうちにもう1枚出して稼ごうなんて考え方は大嫌い。時間が経ちすぎてしまったから売れなくなるようなことはアーティストとして望ましくないと思う。だったら普通の会社員をしてるほうがいいわ。
- 好きなブラジルのバンドは?
ピティ:カショーホ・グランヂとはすごく仲がいいの。コラボレーションもたくさんしたことがあるし。彼らも日本で人気が出るようになると思うわ。
- ところで昨日のショーで着ていた黒いワンピースはどこのブランドのものですか?
ピティ:Bia Machadoっていうドゥーダのお姉さんがデザインしてるブランドなの。ショーでは彼女のものを着ることが多いかな!
- 最後に日本のファンに向けてメッセージをお願いします。
ピティ:こんなに遠くて文化も違う国に住んでいるけど、わたしたちがお互いに感じるものはあるはず。日本のロックファンのことも、もっともっと知りたいと思っています。(日本語で)「生ビールをください」って言えばでわたしたち友だちになれるかな?(笑)
- ブラジルロック魂をぜひ日本にも伝えてほしいと思います。ありがとうございました!
バイオグラフィー
南国の楽園、バイーアはポルトガルの探検家たちがブラジルに辿り着いたときに出くわした最初の場所だ。カーニバルが有名な観光都市だが、ロックやメタルバンドを多く生み出して来た場所であることを現在までわずかな人にしか知られてこなかった。そしてそこからブラジル最も成功を収めるロックの到来。それが Pittyだ。
歌をうたい、曲をつくり、ギターを演奏する、タトゥーの入った28歳の女性はバンド(Martin - Guitars; Duba - Drums; Joe - Bass)を従え、それまで停滞していたブラジル・ロックシーンを揺るがしてきた。ブラジル国内で2枚のCDをリリース。デビューアルバム「Admiravel Chip Novo」は25万枚を売り上げ、5枚のシングルがブラジルのトップチャートにランクインされた。
ブラジルでのPittyは10代の子たちのアイドルであると同時に現代ブラジリアン・ロックの代表、そして彼女の世代でもっとも成功しているバンドとして受け止められている。
このバンドが影響を受けた音楽は広範囲で、パンク・ロック、オルタナティブ・ロック、一般的なロックを含む。Muse、The Mars Volta、Queens Of The Stone Age、In Flames、Sabbath、Faith No More、Johnny Cash、Placebo e Ravi Shankarが多くあるうちのほんの一例である。
新譜情報
『Brave New Chip』

2007年5月23日発売
販売:ビクターエンターテインメント
価格:2625円(税抜2500円)
番号:VUCC-10001
●収録曲●
01. TETO DE VIDRO (テト・ヂ・ヴィドロ)
02. ADMIRAVEL CHIP NOVO (アヂミラーヴェウ・シッピ・ノヴォ)
03. MASCARA (マスカラ)
04. EQUALIZE(イクアリーズィ)
05. O LOBO (ロボ)
06. EMBOSCADA (エンボスカーダ)
07. DO MESMO LADO (ドゥ・メズモ・ラード)
08. TEMPORAL (テンポラウ)
09. SO DE PASSAGEM (ソ・ヂ・パサージェン)
10. I WANNA BE (アイ・ウォナ・ビー)
11. SEMANA QUE VEM (セマナ・キ・ヴェン)
→ピティ 来日公演レポート (W.W.のAGORA SIM! 2007/05/11)
協力:B.SUN Records
2007年01月29日
マリーザ・モンチ インタビュー!
5月に待望の来日公演が決定したマリーザ・モンチ (Marisa Monte) にインタビュー!

マリーザ・モンチ、国内最先行予約受付 2/9(金)スタート!
ポケブラス(P):今日は遅い時間にもかかわらず、インタビューに応じていただいてありがとうございます。(注:インタビュー時間はブラジル現地午前1時)
マリーザ・モンチ(M):こんばんは。大丈夫、たった今、アラカジュ(ブラジル北東部セルジッペ州の州都)でのショーを終えてホテルの部屋に戻ってきたところなの。
P:アラカジュというと、今は海辺のホテルでくつろいでいるのでしょうか。
M:あいにく海風の届かないホテルに泊っているの。今日はすごく暑いけど、エアコンは空気が乾燥して喉に悪いから、つけないでいるわ。ノルデスチ(ブラジル北東部)に来て、海辺でないホテルだなんてね。明日からはレシーフェに移動するし、ホテルも海辺になると思うわ(笑)
P:それは安心しました。では、さっそく質問に移らせていただきます。今回の来日公演ですが、日本ではもう大変な話題になっていますよ。
M:それはうれしいわね。日本のファンは世界中の良い音楽を知っているもの。確か91年(注:来日公演は92年)に一度行ったきりだから、私もすごく期待してるの。これまで何度も日本ツアーの話があがっていたけれど、なかなか実現しなかったのよ。
P:今回のショー「Universo Particular」(私の中の宇宙)について、少し話していただけますか。
M:まず、ショーのレパートリーだけど、昨年リリースした2枚のアルバム『Universo Ao Meu Redor (私のまわりの宇宙)』と『Infinito Particular (私の中の無限)』をベースに、それ以前のアルバムの曲も含めたキャリア全体を包括するような構成になっているわ。つまり、ポップスからサンバまで幅広い音楽ジャンルを演奏するのだけど、それを可能にしてくれるのが私のバンドよ。
美しいストリングスの編成は、マウロ・ヂニス(カヴァキーニョ、アコースティックギター)、ペドロ・ベイビー(アコースティックギター、エレキギター)、ダヂ(エレキギター、ベース)、そして私(ウクレレ、アコースティックギター)。パーカッションとドラムスはマルセロ・コスタ、キーボード、シンセサイザーとサンプラーはカルロス・トリーリャが担当するわ。そして、自慢の管弦カルテットは、マルクス・ヒベイロ(チェロ)、ペドロ・ミビエリ(バイオリン)、ジュリアーノ・バルボザ(ファゴット)、マイコ・ロペス(トランペット、フリューゲルホルン)。カルテットが演奏するために昔のレパートリーもアレンジを一部書き直したの。いろんなスタイルで演奏できるバンドだから、日本のファンも楽しみにしていてほしいわね。
P:ステージセットは同じものを持ってくるのでしょうか。
M:ヨーロッパやアメリカではブラジル国内と同じものを使ったけど、遠距離を運搬することやステージの大きさなども考えて、日本のショー向けにアレンジすることになるかもしれない。
P:これまでのショーの反響はいかがですか。
M:昨年の4月から始まったツアーだけど、多くの人たちが会場に足を運んでくれているし、マスコミからもよい評価をもらっているわ。ツアーはこれまで、ブラジル南部、サンパウロ、リオ、そしてヨーロッパ、アメリカをまわり、今はノルデスチ。2月からはブラジル中西部、ラテンアメリカ諸国、そして5月には日本を含めてのアジア・ツアーに出るわ。その後はまたブラジルに戻って、年末まで続く予定よ。
P:アジアでは日本以外どこをまわりますか。
M:まだはっきりしていないけれど、シドニー、シンガポール、ほかにもいくつかまわる予定。
P:日本でのショーは15年ぶりになりますが、何か特別なレパートリーなど考えていますか。
M:そうね、日本で歌うのは最初のスタジオ・アルバムの『Mais』以来だから、今回、ほとんどの曲は初めて聴いてもらうことになるでしょう。だから、全てが特別な体験になると思うわ。
P:在日ブラジル人もショーに詰めかけるはずです。やはり「Amor I Love You」を聴きたいと思いますが。
M:何を歌うかは約束できないわ。「Amor I Love You」も今回のツアーで歌ったり、歌わなかったり。ショーのために30曲ほどリハーサルするけど、実際は、そのうちの二十数曲を入れ替えながら歌っているの。レパートリーは固定しないで。でも、今日のアラカジュでは「Amor I Love You」を歌ったわね、フフフ・・・。
P:これまでのツアーで、感動したこと、記憶に残っていることはどんなことですか。
M:たくさんあるわ。ニューヨーク、パリ、ロンドンの海外公演はとても華やかで美しかった。国内のショーでは、たとえば、先週はナタル(リオグランヂドノルテ州の州都)のアリーナで8千人を前に歌ったけど、ショーの終わり頃、観客が携帯電話のディスプレイのあかりをロウソクに見立てて、曲に合わせていっせいに振ってくれたの。感動したわ。観客が私と一緒に歌ってくれるだけですごくうれしくなる。みんなで同じ時間を共有するの。
P:このショーのベースとなる2枚の最新アルバムについて、それぞれの特徴を語ってください。
M:ええ、それぞれのアルバムは異なるコンセプトで作られているんだけど、まず、『Universo Ao Meu Redor (私のまわりの宇宙)』は「サンバ・アルバム」ではなくて、「サンバの空気を取り込んだアルバム」と呼びたいわね。サンバの歴史を入念に調べて、40、50年代の古いサンバを復活させ、同時に私やパウリーニョ・ダ・ヴィオラ、アドリアーナ・カルカニョットの新曲も加えたの。
どの曲も録音されたことのない曲なのだけど、ノーヴォス・バイアーノスの未発表曲もあれば、調べていくうちに偶然見つけたサンバもある。それらは古い曲だけど、アレンジ次第で今どきのサンバと遜色ない仕上がりになるとわかっていたわ。プロデュースをサンバの世界とまったく縁のないマリオ・カルダートにお願いしたのは、ポップスやヒップホップのアルバムを手掛けてきた彼なら、『Universo…』とそれまでの私の作品とのコネクションを保ってくれると思ったから。
『Universo…』が自分をとりまく人々、世界なら、自分の内面を表現したのが『Infinito Particular (私の中の無限)』。前者を補完するアルバムといってもいいわね。曲作りにも全曲参加して、幅広いテーマと多くのアーティストとのコラボレーションを実現したわ。フィリップ・グラス、エウミール・デオダート、ジョアン・ドナートの手による管弦カルテットのアレンジもひとつの魅力だし、ボイス・エフェクターも使って、自分のサウンドを表現してみた。こちらのアルバムは『Tribalistas(トリバスタス)』と同じプロデューサー、アレ・シケイラに依頼したのよ。
P:マリオ・カルダートはジャック・ジョンソンのアルバムもプロデュースしており、日本でもよく知られています。彼との仕事はどんなものでしたか。
M:『Universo…』で彼にお願いしたのは、伝統的なサンバ・アルバムにはしたくない、私の特色を前面に出したアルバムにしてほしい、ということ。だから、まず彼にアルバムのレパートリーを聴いてもらい、私の意図を理解してもらった。あとは彼のミキシングのセンスにまかせたけど、仕上がりは予想を超える素晴らしさだった。彼は最高のパートナーだわ。
P:アルナルド・アントゥネスやカルリーニョス・ブラウンといった、いわゆるトリバリスタスのメンバーとのコラボレーションはいかがですか。
M:彼等とはトリバリスタスをリリースする遥か以前から一緒に仕事してる。90年から92年にかけて、3人で盛んにコラボレートする中で生まれたのがトリバリスタスといえるわね。いつのまにか大量のレパートリーを抱えるようになって、それらを一つのアルバムに結実させたの。『Universo…』でも、3人であれこれと調べていくうちに、古いサンバを聴き、それに感化され、作曲して。アルバムを作っていないときでも、集まるといつも何か作曲していて、それらの曲はいつか自然と録音されていくの。
P:『Universo…』に収録されているアドリアーナ・カルカニョットの曲「Vai Saber?(ヴァイ・サベール)」は書き下ろしですか。
M:いいえ、もともとあった曲を彼女が聴かせてくれたのだけど、すごく気に入ってしまって。そのときはすでに『Universo…』のレコーディングの最中だったけど、彼女に録音させてほしいとお願いしたの。絶対にアルバムにフィットすると思ったから。今もお気に入りの曲のひとつよ。
P:アドリアーナとは仲がいいのですか。
M:そうね、私たちは歌手でありコンポーザーでもあり、共通点がいっぱいある。彼女は素晴らしい才能の持ち主で尊敬しているわ。
P:セウ・ジョルジも去年、来日しました。彼とのコラボはいかがでしたか。
M:セウ・ジョルジは最高よ。彼もまた素晴らしい歌手でコンポーザー、ごく自然に私たちと解け合って、曲を完成させくれたわ。
P:ブラジルの批評家たちは、この2枚のアルバムはあなたの成熟度の表れだと絶賛していますが、それについてどう思いますか。
M:成熟度について自ら言うのは難しいけれど、数々のアルバムを作り、経験を重ねる中で、自分の音楽性をより深く理解し、作品への要求度を高めてきたのは確かね。全く新しい実験をするのではなく、これまでの成功や失敗をベースに作品を作り上げていく。ある種、自己認識に通じるプロセスだと感じているわ。とはいえ、これからもいろいろなことに挑戦するつもりよ。
P:『Universo…』収録の「Pelo Tempo Que Durar(時の続くかぎり)」では和楽器の琴が使われています。何か日本のものから影響を受けているのでしょうか。
M:「Pelo Tempo Que Durar」は五音音階で日本的な曲だと感じたから、和楽器が合うと思ったの。「日本的なもの」は今や世界中に散らばっているわ。ブラジルにもあるし、ニューヨーク、パリにもある。どこにいっても日本文化の存在を感じるし、幸いにも、それは純粋なものとして息づいていると思う。
前回、来日したときのことを今でも覚えているのだけど、人々がすごく丁寧で、思慮深くて、いつも目を見て話してくれたのが印象的だった。そして、そのやさしさを美しいと思ったわ。
P:ジョアン・ジルベルトの来日公演のことは知っていますか。
M:もちろん知っているわ!40分間も観客の拍手が鳴り止まなかったんでしょう?ああ、だってジョアンは素晴らしいもの、彼こそ巨匠よ。
P:2年前にはカエターノ・ヴェローゾも来日したので、日本のブラジル音楽ファンにとって、残すはあなたの来日だけでした。
M:それは光栄だわ。日本を自分の目で見て何を感じるのか、私自身、ワクワクしてるわ。ジョアンやカエターノを始めとする巨匠たちが切り拓いてくれた道を私も歩めること、そして新しい観客と触れ合えること、素晴らしいことばかりね。
P:ところで、最近はどんな音楽を聴いていますか。
M:最近はジョルジ・ベンジョールね。ツアーの間、ノートパソコンに入れて聴いているのはほとんど彼なのよ。他にもアル・グリーン、カーティス・メイフィールドといった名シンガーたちを聴いているわ。大好き!
P:あなたはシンガーだけでなく、コンポーザー、プロデューサー、そして自身のショーの演出家としてマルチな才能を発揮していますが、いつ頃からそうなったのですか?
M:いつからということではなくて、自分の音楽表現をより高めるために、いろんな専門家たちの仕事ぶりをよく観察し、学び、自分でも実践していくうちに自然に、という感じかしら。
P:今後、身に付けたいと思うことは何かありますか。
M:どうかしら、今でも歌って、作曲して、楽器も弾けるけれど・・・そうね、もっと楽器の演奏が上手くなりたいし、違った楽器も弾いてみたいわね。
P:マルチタレントとして影響を受けている人はいますか?
M:音楽というジャンルに限らず、文学やビジュアルアート、映画といった分野からもインスピレーションをもらうことが多いの。いつも何かに感動し、そこから学ぶようにしているわ。
P:子どもの頃からサンバを聴き、若くしてイタリアにオペラを学びに行きましたね。
M:リオデジャネイロを代表する音楽は、いつの時代もサンバなの。リオで生まれたわたしは、物心ついたときから、父が好む有名なサンビスタたちのレコードを聴いて育ったわ。リオで音楽をたしなむならサンバは避けて通れないわね。
少女時代は楽器を学び、声楽も勉強して、音楽の基礎知識を身に付けたけれど、オペラを学んだおかげで今のように歌えるようになったわけではないの。わたしはただ歌うことが好きで、歌を歌う中でいつも多くのことを学んできた。もちろんオペラからも、自分の声質を認識したり、歌う前の準備を身につけたり、歌うことに関する大切なことを得たわ。
P:エスコーラ・ヂ・サンバ(サンバ・スクール)のポルテーラとの関係を教えてください。
M:ポルテーラといっても、ヴェーリャ・グァルダと呼ばれるベテラン陣たちとの交流が深いの。『Verde Anil Amarelo Cor de Rose e Carvão(ローズ・アンド・チャコール)』(94)にゲスト参加してもらってからのおつきあいで、99年にはヴェーリャ・グァルダのアルバム『Tudo Azul』を、01年にもメンバーの一人であるセウ・アルジェミーロのアルバムをプロデュースしたわ。わたしは彼らをとても尊敬しているし、彼らの活動にいつも注目していて、演奏があるときは、できるかぎり行くようにしているの。わたしが弟子でヴェーリャ・グァルダのみんなが師匠という関係ね。
P:今年のカーニバルのご予定は?
M:今年は休むと決めているわ。このノルデスチ・ツアーもカーニバル直前に終わるしね。カーニバルのお誘いはたくさん受けているけれど、今は体を休めることを優先させたいの。
P:4年前に息子さんが生まれました。新しい家族ができたことは、あなたにどんな変化をもたらしましたか。
M:私はいつも家族という価値を大切にしてきたけれど、母親になって一番変わったのは、時間の大切さを意識するようになったこと。家族や友達といった大事な存在の真ん中に、今は息子がいる。今後はさらに音楽活動に励むと同時に、できるだけ息子のそばにいてあげたいと思っているわ。
P:あなたの息子が大きくなったとき、どんな世界であってほしいと願いますか?
M:人々が互いに理解しあい、隣人への思いやりに溢れた世界になってほしい。
P:音楽でそれを実現しているのが、あなただと思います。
M:そうね。一部の曲にはそういったメッセージも含まれている。人々が幸せになれると信じること、少しでもその手助けになればと思っているわ。
P:日本人にとってブラジルはやはり遠い国です。ぜひあなたから「ブラジル」を紹介してください。
M:ブラジルはたくさんの表情を持つ国。説明するのは簡単ではないけれど、多様性に富む社会で相反する様々な真実が共生している。もしかすると日本とは真逆の国かもしれないわね。広い国土で何でも取り込んでしまうパワーを持っているから、同じ場所に異なる文化、異なる国が共存しているわ。今ここでリオやサンパウロの現実を語っても、他の地域の現実とは全く違うかもしれない。一言で紹介するのは本当に難しいけれど「若い国」といえばイメージしやすいかしら。
P:貴重なインタビューをありがとうございました。最後に、日本にいるあなたのファンにメッセージをお願いします。
M:日本で歌う機会に再び恵まれ、今すごく幸せです。ずっと望んでいたことだから。日本のみなさんも私のショーを観て、同じように幸せな気持ちになってくれたらうれしいわ。幸せなひとときを共有できるよう願っています。
インタビュアー:長谷部F.慶太

マリーザ・モンチ、国内最先行予約受付 2/9(金)スタート!
ポケブラス(P):今日は遅い時間にもかかわらず、インタビューに応じていただいてありがとうございます。(注:インタビュー時間はブラジル現地午前1時)
マリーザ・モンチ(M):こんばんは。大丈夫、たった今、アラカジュ(ブラジル北東部セルジッペ州の州都)でのショーを終えてホテルの部屋に戻ってきたところなの。
P:アラカジュというと、今は海辺のホテルでくつろいでいるのでしょうか。
M:あいにく海風の届かないホテルに泊っているの。今日はすごく暑いけど、エアコンは空気が乾燥して喉に悪いから、つけないでいるわ。ノルデスチ(ブラジル北東部)に来て、海辺でないホテルだなんてね。明日からはレシーフェに移動するし、ホテルも海辺になると思うわ(笑)
P:それは安心しました。では、さっそく質問に移らせていただきます。今回の来日公演ですが、日本ではもう大変な話題になっていますよ。
M:それはうれしいわね。日本のファンは世界中の良い音楽を知っているもの。確か91年(注:来日公演は92年)に一度行ったきりだから、私もすごく期待してるの。これまで何度も日本ツアーの話があがっていたけれど、なかなか実現しなかったのよ。
P:今回のショー「Universo Particular」(私の中の宇宙)について、少し話していただけますか。
M:まず、ショーのレパートリーだけど、昨年リリースした2枚のアルバム『Universo Ao Meu Redor (私のまわりの宇宙)』と『Infinito Particular (私の中の無限)』をベースに、それ以前のアルバムの曲も含めたキャリア全体を包括するような構成になっているわ。つまり、ポップスからサンバまで幅広い音楽ジャンルを演奏するのだけど、それを可能にしてくれるのが私のバンドよ。
美しいストリングスの編成は、マウロ・ヂニス(カヴァキーニョ、アコースティックギター)、ペドロ・ベイビー(アコースティックギター、エレキギター)、ダヂ(エレキギター、ベース)、そして私(ウクレレ、アコースティックギター)。パーカッションとドラムスはマルセロ・コスタ、キーボード、シンセサイザーとサンプラーはカルロス・トリーリャが担当するわ。そして、自慢の管弦カルテットは、マルクス・ヒベイロ(チェロ)、ペドロ・ミビエリ(バイオリン)、ジュリアーノ・バルボザ(ファゴット)、マイコ・ロペス(トランペット、フリューゲルホルン)。カルテットが演奏するために昔のレパートリーもアレンジを一部書き直したの。いろんなスタイルで演奏できるバンドだから、日本のファンも楽しみにしていてほしいわね。
P:ステージセットは同じものを持ってくるのでしょうか。
M:ヨーロッパやアメリカではブラジル国内と同じものを使ったけど、遠距離を運搬することやステージの大きさなども考えて、日本のショー向けにアレンジすることになるかもしれない。
P:これまでのショーの反響はいかがですか。
M:昨年の4月から始まったツアーだけど、多くの人たちが会場に足を運んでくれているし、マスコミからもよい評価をもらっているわ。ツアーはこれまで、ブラジル南部、サンパウロ、リオ、そしてヨーロッパ、アメリカをまわり、今はノルデスチ。2月からはブラジル中西部、ラテンアメリカ諸国、そして5月には日本を含めてのアジア・ツアーに出るわ。その後はまたブラジルに戻って、年末まで続く予定よ。
P:アジアでは日本以外どこをまわりますか。
M:まだはっきりしていないけれど、シドニー、シンガポール、ほかにもいくつかまわる予定。
P:日本でのショーは15年ぶりになりますが、何か特別なレパートリーなど考えていますか。
M:そうね、日本で歌うのは最初のスタジオ・アルバムの『Mais』以来だから、今回、ほとんどの曲は初めて聴いてもらうことになるでしょう。だから、全てが特別な体験になると思うわ。
P:在日ブラジル人もショーに詰めかけるはずです。やはり「Amor I Love You」を聴きたいと思いますが。
M:何を歌うかは約束できないわ。「Amor I Love You」も今回のツアーで歌ったり、歌わなかったり。ショーのために30曲ほどリハーサルするけど、実際は、そのうちの二十数曲を入れ替えながら歌っているの。レパートリーは固定しないで。でも、今日のアラカジュでは「Amor I Love You」を歌ったわね、フフフ・・・。
P:これまでのツアーで、感動したこと、記憶に残っていることはどんなことですか。
M:たくさんあるわ。ニューヨーク、パリ、ロンドンの海外公演はとても華やかで美しかった。国内のショーでは、たとえば、先週はナタル(リオグランヂドノルテ州の州都)のアリーナで8千人を前に歌ったけど、ショーの終わり頃、観客が携帯電話のディスプレイのあかりをロウソクに見立てて、曲に合わせていっせいに振ってくれたの。感動したわ。観客が私と一緒に歌ってくれるだけですごくうれしくなる。みんなで同じ時間を共有するの。
P:このショーのベースとなる2枚の最新アルバムについて、それぞれの特徴を語ってください。
M:ええ、それぞれのアルバムは異なるコンセプトで作られているんだけど、まず、『Universo Ao Meu Redor (私のまわりの宇宙)』は「サンバ・アルバム」ではなくて、「サンバの空気を取り込んだアルバム」と呼びたいわね。サンバの歴史を入念に調べて、40、50年代の古いサンバを復活させ、同時に私やパウリーニョ・ダ・ヴィオラ、アドリアーナ・カルカニョットの新曲も加えたの。
どの曲も録音されたことのない曲なのだけど、ノーヴォス・バイアーノスの未発表曲もあれば、調べていくうちに偶然見つけたサンバもある。それらは古い曲だけど、アレンジ次第で今どきのサンバと遜色ない仕上がりになるとわかっていたわ。プロデュースをサンバの世界とまったく縁のないマリオ・カルダートにお願いしたのは、ポップスやヒップホップのアルバムを手掛けてきた彼なら、『Universo…』とそれまでの私の作品とのコネクションを保ってくれると思ったから。
『Universo…』が自分をとりまく人々、世界なら、自分の内面を表現したのが『Infinito Particular (私の中の無限)』。前者を補完するアルバムといってもいいわね。曲作りにも全曲参加して、幅広いテーマと多くのアーティストとのコラボレーションを実現したわ。フィリップ・グラス、エウミール・デオダート、ジョアン・ドナートの手による管弦カルテットのアレンジもひとつの魅力だし、ボイス・エフェクターも使って、自分のサウンドを表現してみた。こちらのアルバムは『Tribalistas(トリバスタス)』と同じプロデューサー、アレ・シケイラに依頼したのよ。
P:マリオ・カルダートはジャック・ジョンソンのアルバムもプロデュースしており、日本でもよく知られています。彼との仕事はどんなものでしたか。
M:『Universo…』で彼にお願いしたのは、伝統的なサンバ・アルバムにはしたくない、私の特色を前面に出したアルバムにしてほしい、ということ。だから、まず彼にアルバムのレパートリーを聴いてもらい、私の意図を理解してもらった。あとは彼のミキシングのセンスにまかせたけど、仕上がりは予想を超える素晴らしさだった。彼は最高のパートナーだわ。
P:アルナルド・アントゥネスやカルリーニョス・ブラウンといった、いわゆるトリバリスタスのメンバーとのコラボレーションはいかがですか。
M:彼等とはトリバリスタスをリリースする遥か以前から一緒に仕事してる。90年から92年にかけて、3人で盛んにコラボレートする中で生まれたのがトリバリスタスといえるわね。いつのまにか大量のレパートリーを抱えるようになって、それらを一つのアルバムに結実させたの。『Universo…』でも、3人であれこれと調べていくうちに、古いサンバを聴き、それに感化され、作曲して。アルバムを作っていないときでも、集まるといつも何か作曲していて、それらの曲はいつか自然と録音されていくの。
P:『Universo…』に収録されているアドリアーナ・カルカニョットの曲「Vai Saber?(ヴァイ・サベール)」は書き下ろしですか。
M:いいえ、もともとあった曲を彼女が聴かせてくれたのだけど、すごく気に入ってしまって。そのときはすでに『Universo…』のレコーディングの最中だったけど、彼女に録音させてほしいとお願いしたの。絶対にアルバムにフィットすると思ったから。今もお気に入りの曲のひとつよ。
P:アドリアーナとは仲がいいのですか。
M:そうね、私たちは歌手でありコンポーザーでもあり、共通点がいっぱいある。彼女は素晴らしい才能の持ち主で尊敬しているわ。
P:セウ・ジョルジも去年、来日しました。彼とのコラボはいかがでしたか。
M:セウ・ジョルジは最高よ。彼もまた素晴らしい歌手でコンポーザー、ごく自然に私たちと解け合って、曲を完成させくれたわ。
P:ブラジルの批評家たちは、この2枚のアルバムはあなたの成熟度の表れだと絶賛していますが、それについてどう思いますか。
M:成熟度について自ら言うのは難しいけれど、数々のアルバムを作り、経験を重ねる中で、自分の音楽性をより深く理解し、作品への要求度を高めてきたのは確かね。全く新しい実験をするのではなく、これまでの成功や失敗をベースに作品を作り上げていく。ある種、自己認識に通じるプロセスだと感じているわ。とはいえ、これからもいろいろなことに挑戦するつもりよ。
P:『Universo…』収録の「Pelo Tempo Que Durar(時の続くかぎり)」では和楽器の琴が使われています。何か日本のものから影響を受けているのでしょうか。
M:「Pelo Tempo Que Durar」は五音音階で日本的な曲だと感じたから、和楽器が合うと思ったの。「日本的なもの」は今や世界中に散らばっているわ。ブラジルにもあるし、ニューヨーク、パリにもある。どこにいっても日本文化の存在を感じるし、幸いにも、それは純粋なものとして息づいていると思う。
前回、来日したときのことを今でも覚えているのだけど、人々がすごく丁寧で、思慮深くて、いつも目を見て話してくれたのが印象的だった。そして、そのやさしさを美しいと思ったわ。
P:ジョアン・ジルベルトの来日公演のことは知っていますか。
M:もちろん知っているわ!40分間も観客の拍手が鳴り止まなかったんでしょう?ああ、だってジョアンは素晴らしいもの、彼こそ巨匠よ。
P:2年前にはカエターノ・ヴェローゾも来日したので、日本のブラジル音楽ファンにとって、残すはあなたの来日だけでした。
M:それは光栄だわ。日本を自分の目で見て何を感じるのか、私自身、ワクワクしてるわ。ジョアンやカエターノを始めとする巨匠たちが切り拓いてくれた道を私も歩めること、そして新しい観客と触れ合えること、素晴らしいことばかりね。
P:ところで、最近はどんな音楽を聴いていますか。
M:最近はジョルジ・ベンジョールね。ツアーの間、ノートパソコンに入れて聴いているのはほとんど彼なのよ。他にもアル・グリーン、カーティス・メイフィールドといった名シンガーたちを聴いているわ。大好き!
P:あなたはシンガーだけでなく、コンポーザー、プロデューサー、そして自身のショーの演出家としてマルチな才能を発揮していますが、いつ頃からそうなったのですか?
M:いつからということではなくて、自分の音楽表現をより高めるために、いろんな専門家たちの仕事ぶりをよく観察し、学び、自分でも実践していくうちに自然に、という感じかしら。
P:今後、身に付けたいと思うことは何かありますか。
M:どうかしら、今でも歌って、作曲して、楽器も弾けるけれど・・・そうね、もっと楽器の演奏が上手くなりたいし、違った楽器も弾いてみたいわね。
P:マルチタレントとして影響を受けている人はいますか?
M:音楽というジャンルに限らず、文学やビジュアルアート、映画といった分野からもインスピレーションをもらうことが多いの。いつも何かに感動し、そこから学ぶようにしているわ。
P:子どもの頃からサンバを聴き、若くしてイタリアにオペラを学びに行きましたね。
M:リオデジャネイロを代表する音楽は、いつの時代もサンバなの。リオで生まれたわたしは、物心ついたときから、父が好む有名なサンビスタたちのレコードを聴いて育ったわ。リオで音楽をたしなむならサンバは避けて通れないわね。
少女時代は楽器を学び、声楽も勉強して、音楽の基礎知識を身に付けたけれど、オペラを学んだおかげで今のように歌えるようになったわけではないの。わたしはただ歌うことが好きで、歌を歌う中でいつも多くのことを学んできた。もちろんオペラからも、自分の声質を認識したり、歌う前の準備を身につけたり、歌うことに関する大切なことを得たわ。
P:エスコーラ・ヂ・サンバ(サンバ・スクール)のポルテーラとの関係を教えてください。
M:ポルテーラといっても、ヴェーリャ・グァルダと呼ばれるベテラン陣たちとの交流が深いの。『Verde Anil Amarelo Cor de Rose e Carvão(ローズ・アンド・チャコール)』(94)にゲスト参加してもらってからのおつきあいで、99年にはヴェーリャ・グァルダのアルバム『Tudo Azul』を、01年にもメンバーの一人であるセウ・アルジェミーロのアルバムをプロデュースしたわ。わたしは彼らをとても尊敬しているし、彼らの活動にいつも注目していて、演奏があるときは、できるかぎり行くようにしているの。わたしが弟子でヴェーリャ・グァルダのみんなが師匠という関係ね。
P:今年のカーニバルのご予定は?
M:今年は休むと決めているわ。このノルデスチ・ツアーもカーニバル直前に終わるしね。カーニバルのお誘いはたくさん受けているけれど、今は体を休めることを優先させたいの。
P:4年前に息子さんが生まれました。新しい家族ができたことは、あなたにどんな変化をもたらしましたか。
M:私はいつも家族という価値を大切にしてきたけれど、母親になって一番変わったのは、時間の大切さを意識するようになったこと。家族や友達といった大事な存在の真ん中に、今は息子がいる。今後はさらに音楽活動に励むと同時に、できるだけ息子のそばにいてあげたいと思っているわ。
P:あなたの息子が大きくなったとき、どんな世界であってほしいと願いますか?
M:人々が互いに理解しあい、隣人への思いやりに溢れた世界になってほしい。
P:音楽でそれを実現しているのが、あなただと思います。
M:そうね。一部の曲にはそういったメッセージも含まれている。人々が幸せになれると信じること、少しでもその手助けになればと思っているわ。
P:日本人にとってブラジルはやはり遠い国です。ぜひあなたから「ブラジル」を紹介してください。
M:ブラジルはたくさんの表情を持つ国。説明するのは簡単ではないけれど、多様性に富む社会で相反する様々な真実が共生している。もしかすると日本とは真逆の国かもしれないわね。広い国土で何でも取り込んでしまうパワーを持っているから、同じ場所に異なる文化、異なる国が共存しているわ。今ここでリオやサンパウロの現実を語っても、他の地域の現実とは全く違うかもしれない。一言で紹介するのは本当に難しいけれど「若い国」といえばイメージしやすいかしら。
P:貴重なインタビューをありがとうございました。最後に、日本にいるあなたのファンにメッセージをお願いします。
M:日本で歌う機会に再び恵まれ、今すごく幸せです。ずっと望んでいたことだから。日本のみなさんも私のショーを観て、同じように幸せな気持ちになってくれたらうれしいわ。幸せなひとときを共有できるよう願っています。
インタビュアー:長谷部F.慶太
2007年01月22日
ウィルソン・シモニーニャ インタビュー!
トラマレーベルのウィルソン・シモニーニャがSonia Rosa with Brazilian Star's Nightにスペシャルゲストとして来日。ポケブラスのインタビューに応じてもらいました!
シモニーニャは、なんとさっき買ってきたばかりだという"萌え"ジャージを着て都内某ホテルの待ち合わせ場所に登場。
「どんな意味なの?」と興味深そうに訊いていたのですが、"萌え"をポルトガル語にするのはなかなか難しい…。「悪い言葉じゃないよね?だったらいいや!」と明るく笑ってインタビューに応じてくれました。
ポケブラス(以下P):今回は2回目の来日ですよね?
ウィルソン・シモニーニャ(以下W):そうなんだ。でも前に来たときとは全然違うよ。自分自身が変わっているってことが一番大きいかな。あれからずいぶんといろいろな経験を積んだからね。
あの頃はブラジルでもポピュラー音楽で成功するのは難しかった。パゴーヂやアシェーの人気にはかなわなかったし。それが今回はだいぶ違うよ。ブラジルでも色んな音楽が聴かれるようになったし、自分自身でCDもリリースしたし、自分のショーもやるようになったし…
P:あなたが師匠として挙げているアロイーゾ・ポンチス、ウィルソン・クーニャ、シュー・ヴィアナ、マリア・アルヴィンはどんな人たちですか?
W:声楽やピアノ、理論などの音楽を勉強していた頃の先生だよ。 P:アーティストで尊敬している人は誰ですか?
それは難しい質問だね…どんなアーティストにもインスピレーションを受けていると思う。ブラジルのアーティスト、海外のアーティスト関係なくね。アメリカに行ったときは特に向こうのアーティストの影響を強く受けたと思うけど。
P:ジョルジ・ベンジョールの曲をカバーしたアルバム『MTV Apresenta Simoninha Canta Jorge Ben Jor』も、そうしたインスピレーションからきたものですか?現在も活動を続けているアーティストの曲をアルバム一枚通してカバーするのは比較的めずらしいのではないかと思うのですが…
W:実はあれはMTVとトラマのアイディアなんだ。僕自身は自分の曲を収録したいと思っていたんだけどね… ジョルジ・ベンジョールのことはもちろんとても尊敬しているし、経験になるからやってみようと思ったんだ。選曲には自分のこだわりを盛り込んだつもりだよ。ジョルジ・ベンジョールの曲の中でもとりわけ有名じゃないものをわざと選んだ。そして自分の解釈で演奏した。コピーになってしまうんじゃ意味がないからね。
P:"ピラントラージェン"という言葉にはどんな意味があるのか教えてください。一般的にはポップスよりのブラックミュージックという解釈がされているようですが…
W:"ピラントラージェン"という言葉は、父のウィルソン・シモナルが全盛で音楽活動をしていた頃にできた言葉だね。あの頃は音楽を聴いて踊ったり騒いだりすることが一般的じゃなかった時代なんだ。それをクラブのような場所で歌ったり騒いだりできるような、遊び心のある音楽を作ろうとしたのがきっかけなんだよ。ただ、言葉の響きが"マランドラージェン"に似ていることもあって、楽しいというよりはちょっと不良っぽいイメージがついてしまっていたかもしれないね。もともとはサンバ・ジョーヴェンという名前にしようかという案もあったみたいなんだけど、すでにジョーヴェン・グアルダがあったからね…。
ただ、そのスタイルが確立したすぐあとにブラジルでは軍政が始まってしまって、そのことは父のキャリアに大きな影響を与えることになった。厳しい時期を過ぎて、今は自然とただ楽しむための音楽を若い層の人たちを中心に広がっているね。サンパウロのSESCポンペイアでも「Da Malandragem a Pilantragem("マランドラージェン"から"ピラントラージェン"へ)」というテーマのコンサートを行ったんだ。昔ながらのサンバにある"マランドラージェン"に比べて、新しく生まれた"ピラントラージェン"にはもっと洗練された点がいくつもあるのが違いだといえるかな。
P:アーティストしてデビューする前はどんなことをしていましたか?親友のジャイル・オリヴェイラは当時すでにジャイル・ホドリゲスの横で音楽活動をしていましたよね?
W:もちろん、小さい頃から常に音楽には触れていたよ。でも最初は裏方の仕事をしていたんだ。バックステージでショーを作る仕事だね。父親同士は友達だったけれど、当時の僕とジャイルは知り合い程度の仲だったんだ。僕の方が年も少し上だし…今のように一緒にいるようになったのはジャイルがアメリカから帰ってきたあとくらいからかな。
自分で作曲したり演奏したりしてみたいという気持ちは常になかったわけじゃない。あとは父と比較されることに臆病になっていた部分もあったと思う。仕方のないことだけどね。でも裏方として経験を積んで…自分に自信が持てるようになって実際にやってみようって気になったんだ。今では自分だけのスタイルもあるし、スタジオもあるし、父とは違う方法で音楽を作っていることが自覚できる。自分の経験も活かしてね。情報収集も昔に比べてとても簡単になったし、父の時代ではできなかったことが自分にはできるかもしれないと思っているよ。
P:お父さんであるウィルソン・シモナルの活躍、そして今では息子ウィルソン・シモニーニャがこうして一人のアーティストとして人気を得ているわけですが、ジャイル・ホドリゲス、ジャイル・オリヴェイラ親子をはじめ、"ニ代目"の活躍をみることができる時代になっていますが、あなたがたの世代の未来はどうなると思いますか?もうすぐ誕生予定のお子さんにも音楽の道に進んでほしいと思っていますか?
W:うーん。…分からないな。(笑)強いてニ世として自覚していることを挙げるとすれば、いつでも情報を交換して、お互いに影響し合おうと努力しようとすることだろうな。お互いにインスピレーションを与えあって、一緒に何かをやって…。理解し合い、尊敬し合うこと。 P:最後に、ファンのみなさんにメッセージをお願いします。
W:どうもありがとう!とにかくこれしかないよ!また日本に来て、今度は自分のショーをやりたいな。
Wilson Simoninha バイオグラフィー
ソウルシンガーのウィルソン・シモナルを父に持つ。ウィルソン・シモナル、ジョルジ・ベンジョールのプロデュースも手がけた経験をもつ。1992年、93 年、94年のフリージャズフェスティバル、1993年、94年のハリウッドロックにプロデューサーとして参加する。その他にも映画音楽、アンタルチカやカイゼル、ホンダ、レイチ・モッサ、フィアットなどのCMジングルも手がけている。歌手として活動するようになってからはジョアン・マルセロ・ボスコリ、レイラ・ピニェイロ、セーザル・カマルゴ・マリアーノ、渡辺貞夫らともコラボレーションする。ソロとしては、2000年に『Wilson Simoninha - Volume 2』、2002年に『Sambaland Club』をリリース。弟にマックス・ヂ・カストロがいる。
取材協力:麻生雅人、Willie Whooper
シモニーニャは、なんとさっき買ってきたばかりだという"萌え"ジャージを着て都内某ホテルの待ち合わせ場所に登場。
「どんな意味なの?」と興味深そうに訊いていたのですが、"萌え"をポルトガル語にするのはなかなか難しい…。「悪い言葉じゃないよね?だったらいいや!」と明るく笑ってインタビューに応じてくれました。ポケブラス(以下P):今回は2回目の来日ですよね?
ウィルソン・シモニーニャ(以下W):そうなんだ。でも前に来たときとは全然違うよ。自分自身が変わっているってことが一番大きいかな。あれからずいぶんといろいろな経験を積んだからね。
あの頃はブラジルでもポピュラー音楽で成功するのは難しかった。パゴーヂやアシェーの人気にはかなわなかったし。それが今回はだいぶ違うよ。ブラジルでも色んな音楽が聴かれるようになったし、自分自身でCDもリリースしたし、自分のショーもやるようになったし…
P:あなたが師匠として挙げているアロイーゾ・ポンチス、ウィルソン・クーニャ、シュー・ヴィアナ、マリア・アルヴィンはどんな人たちですか?
W:声楽やピアノ、理論などの音楽を勉強していた頃の先生だよ。 P:アーティストで尊敬している人は誰ですか?
それは難しい質問だね…どんなアーティストにもインスピレーションを受けていると思う。ブラジルのアーティスト、海外のアーティスト関係なくね。アメリカに行ったときは特に向こうのアーティストの影響を強く受けたと思うけど。
P:ジョルジ・ベンジョールの曲をカバーしたアルバム『MTV Apresenta Simoninha Canta Jorge Ben Jor』も、そうしたインスピレーションからきたものですか?現在も活動を続けているアーティストの曲をアルバム一枚通してカバーするのは比較的めずらしいのではないかと思うのですが…
W:実はあれはMTVとトラマのアイディアなんだ。僕自身は自分の曲を収録したいと思っていたんだけどね… ジョルジ・ベンジョールのことはもちろんとても尊敬しているし、経験になるからやってみようと思ったんだ。選曲には自分のこだわりを盛り込んだつもりだよ。ジョルジ・ベンジョールの曲の中でもとりわけ有名じゃないものをわざと選んだ。そして自分の解釈で演奏した。コピーになってしまうんじゃ意味がないからね。
P:"ピラントラージェン"という言葉にはどんな意味があるのか教えてください。一般的にはポップスよりのブラックミュージックという解釈がされているようですが…W:"ピラントラージェン"という言葉は、父のウィルソン・シモナルが全盛で音楽活動をしていた頃にできた言葉だね。あの頃は音楽を聴いて踊ったり騒いだりすることが一般的じゃなかった時代なんだ。それをクラブのような場所で歌ったり騒いだりできるような、遊び心のある音楽を作ろうとしたのがきっかけなんだよ。ただ、言葉の響きが"マランドラージェン"に似ていることもあって、楽しいというよりはちょっと不良っぽいイメージがついてしまっていたかもしれないね。もともとはサンバ・ジョーヴェンという名前にしようかという案もあったみたいなんだけど、すでにジョーヴェン・グアルダがあったからね…。
ただ、そのスタイルが確立したすぐあとにブラジルでは軍政が始まってしまって、そのことは父のキャリアに大きな影響を与えることになった。厳しい時期を過ぎて、今は自然とただ楽しむための音楽を若い層の人たちを中心に広がっているね。サンパウロのSESCポンペイアでも「Da Malandragem a Pilantragem("マランドラージェン"から"ピラントラージェン"へ)」というテーマのコンサートを行ったんだ。昔ながらのサンバにある"マランドラージェン"に比べて、新しく生まれた"ピラントラージェン"にはもっと洗練された点がいくつもあるのが違いだといえるかな。
P:アーティストしてデビューする前はどんなことをしていましたか?親友のジャイル・オリヴェイラは当時すでにジャイル・ホドリゲスの横で音楽活動をしていましたよね?
W:もちろん、小さい頃から常に音楽には触れていたよ。でも最初は裏方の仕事をしていたんだ。バックステージでショーを作る仕事だね。父親同士は友達だったけれど、当時の僕とジャイルは知り合い程度の仲だったんだ。僕の方が年も少し上だし…今のように一緒にいるようになったのはジャイルがアメリカから帰ってきたあとくらいからかな。
自分で作曲したり演奏したりしてみたいという気持ちは常になかったわけじゃない。あとは父と比較されることに臆病になっていた部分もあったと思う。仕方のないことだけどね。でも裏方として経験を積んで…自分に自信が持てるようになって実際にやってみようって気になったんだ。今では自分だけのスタイルもあるし、スタジオもあるし、父とは違う方法で音楽を作っていることが自覚できる。自分の経験も活かしてね。情報収集も昔に比べてとても簡単になったし、父の時代ではできなかったことが自分にはできるかもしれないと思っているよ。
P:お父さんであるウィルソン・シモナルの活躍、そして今では息子ウィルソン・シモニーニャがこうして一人のアーティストとして人気を得ているわけですが、ジャイル・ホドリゲス、ジャイル・オリヴェイラ親子をはじめ、"ニ代目"の活躍をみることができる時代になっていますが、あなたがたの世代の未来はどうなると思いますか?もうすぐ誕生予定のお子さんにも音楽の道に進んでほしいと思っていますか?W:うーん。…分からないな。(笑)強いてニ世として自覚していることを挙げるとすれば、いつでも情報を交換して、お互いに影響し合おうと努力しようとすることだろうな。お互いにインスピレーションを与えあって、一緒に何かをやって…。理解し合い、尊敬し合うこと。 P:最後に、ファンのみなさんにメッセージをお願いします。
W:どうもありがとう!とにかくこれしかないよ!また日本に来て、今度は自分のショーをやりたいな。
Wilson Simoninha バイオグラフィー
ソウルシンガーのウィルソン・シモナルを父に持つ。ウィルソン・シモナル、ジョルジ・ベンジョールのプロデュースも手がけた経験をもつ。1992年、93 年、94年のフリージャズフェスティバル、1993年、94年のハリウッドロックにプロデューサーとして参加する。その他にも映画音楽、アンタルチカやカイゼル、ホンダ、レイチ・モッサ、フィアットなどのCMジングルも手がけている。歌手として活動するようになってからはジョアン・マルセロ・ボスコリ、レイラ・ピニェイロ、セーザル・カマルゴ・マリアーノ、渡辺貞夫らともコラボレーションする。ソロとしては、2000年に『Wilson Simoninha - Volume 2』、2002年に『Sambaland Club』をリリース。弟にマックス・ヂ・カストロがいる。
取材協力:麻生雅人、Willie Whooper
2007年01月19日
Cansei de Ser Sexy来日公演レポート!
"C! S! S! Sucks!!!!!!! C! S! S! Sucks!!!!!!!"1月16日、平日の夜に東京・渋谷のクラブ街にあるライブハウス行われたサンパウロ発のディスコ・パンク・バンド、カンセイ・ヂ・セール・セクシーの初来日公演は"C.S.S. Suxxxx"で幕を開けた。イギリスの音楽雑誌「New Music Express」で2006年アルバム・オブ・ジ・イヤー5位に輝き、歌詞の大部分は英語。いわゆる "ブラジル音楽"の匂いを漂わせない彼女たち+彼。会場は音楽好きの若者でごった返し、ショーが始まってもまだ中に入ることができない人もいたほどだった。
"Alala"、"Fuck Off Is Not The Only Thing You Have To Show"、"Meeting Paris Hilton "などの人気曲が立て続けに演奏され、会場は水の入ったペットボトルを振り回す人(もちろんフタは空いている)あり、お約束のダイブをする人あり。"This Month,Day 10 "で「ギターのタララ~♪に合わせて手を振ってね!」の呼びかけにしっかり応えたオーディエンスは、さらに80年代の雰囲気を思い出させるフッフ~ッ♪のかけ声を飛ばしてステージとひとつになる。
ステージ上のメンバーももちろんエネルギー全開。ボーカルのLovefoxxxのもともとハスキーな声がこれ以上かすれてしまったらどうしようと思わせるほどだったが、カンペを見ながら「ハナエチャン(日系人でもあるLovefoxxxの本名はルイーザ・ハナエ・マツシタ)デース!That's my name!」と、キュートなMCに会場は大盛り上がり。続いて演奏されたのは、「みんなお酒好きー!?」のシャウトで始まった"Alchohol"。曲タイトルにちなんでカイピリーニャの日本酒版、サケピリーニャを紹介したLovefoxxx。「カロリーも控えめなの!」と加えたところで年頃の女の子なのだということを感じさせる。さらに"Acho Um Pouco Bom"、"Off The Hook"、さらに"Music Is My Hot, Hot Sex"ではなかなかのラップを披露。会場ではついに空になったペットボトルが飛ぶ。
その夜一番の盛り上がりを見せた"Let's Make Love and Listen to Death From Above"ではLovefoxxxがなんと会場にダイブ!パンクなパフォーマンスをしながらも、ぴょこんと飛び出た真っ赤な豹柄のレギンスがキュートでなぜか微笑ましい。さらにマイクスタンドを振り回して暴走を続けるLovefoxxx…噂通り、かなりのエンターテイナーのようだ。もともとクラブ遊びをしていた仲間だったというCSSのメンバーたち。何よりまずは自分たちが楽しむことから始めてしまう、そんな彼女たちに共感してショーにやってきたファンたちも、期待通りのパフォーマンスにテンションを上げ続け、アンコールが始まった頃には会場は蒸し風呂状態、それでも構わず汗だくでジャンプをくり返す。
ポルトガル語で「壊す」、俗語としては「盛り上げる」などを意味するARRASA!をオーディエンスと連呼しながら始まったアンコールでは"Patins"、"I Wanna Be Yr J Lo"、そしてL7のカバー曲"Pretend We're Dead"を演奏。ショーが終わるとまたカンペを取り出して、一体誰に教えてもらったのか「イマカラ、ワタシ...ト…ベッドニイキマショウ…ココヲサワッテ…イッショニ…イ◎※☆!#… あーわかんない!(最後は英語)」なんてMCをしながら立ち去り、会場は大きな笑いに包まれた。オーディエンス全員が笑顔で終わった、楽しくてエネルギーに満ち溢れたショーだった。激しいパフォーマンスのショーが終わって実際に話してみるととても礼儀正しくていい子ばかり。「よかったよ!」と右手を差し出したら、「オブリガ~ダ~!」と熱烈なハグで返してくれたあたりはやっぱりブラジル人だと思わせる。残念ながらスケジュールの都合でライブ後のインタビューをすることはできなかったが、「次日本に来るときは住んでみたい!最低でも2ヶ月くらい。」と話していたLovefoxxx。次回の来日も楽しみだ。 (Assamy)
写真提供:Creativeman Productions
・CSS初来日公演情報!(「AGORA SIM!」 2006年01月12日)
・サンパウロの女の子バンド、CSSが全米デビュー (「AGORA SIM!」 2006年08月02日)
2007年01月15日
ジャイル・オリヴェイラ インタビュー!
トラマレーベルのジャイル・オリヴェイラがSonia Rosa with Brazilian Star's Nightにスペシャルゲストとして来日。ポケブラスのインタビューに応じてくれました!
ポケブラス(以下P:)お父さんはすでに偉大なアーティストとして有名でしたが、自身でもアーティストになろうと思ったきっかけのようなものはありますか?
ジャイル・オリヴェイラ(以下J):僕は生まれたときから音楽に囲まれて育ったんだ。音楽は僕にとって家族みたいなものだよ。音楽に教えてもらったこともたくさんある。だからアーティストになるのはとても自然なことだった。バラォン・マジコで子供のころから音楽活動もしていたしね。ただ、意識してアーティストになろう、と決めたのは思春期を過ぎたあたりかな。何がきっかけでということはないんだけど、これからの人生もずっと音楽とともに生きていこうと突然思った瞬間があったのを覚えているよ。
P:影響を受けた音楽はどんなものでしたか?
J:名前を挙げだしたらきりがないけど…父のジャイル・ホドリゲス、ジャヴァン、ジョアン・ボスコ、トム・ジョビン、パウリーニョ・ダ・ヴィオラ、シコ・ブアルキ、チン・マイア、トン・ゼー、エルメト・パスコアル、アストル・ピアソラ、スティーヴィー・ワンダー、ジェームス・ブラウン、マイケル・ジャクソン、クインシー・ジョーンズ、マイルス・デイビス、ジョン・コルトレイン、ウェス・モントゴメリー、ケニー・バレル、ティンバーランド、ディアンジェロ、そしてエヂ・モッタ、マックス・ヂ・カストロ、ウィルソン・シモニーニャ、セウ・ジョルジ、パウラ・リマ、オットー、ルシアーナ・メロ、ペドロ・マリアーノたちとはお互いに影響し合ってきたし、これからもその関係は続いていくと思う。
ジャンルで考えるとしたらバイアォン、フレーヴォ、マラカトゥみたいなブラジルの伝統的なリズムからファンクやジャズ、アシッドジャズをよく聴いていたけど、やっぱり僕のアルバムにはサンバの色が一番強く出ていると思うな。
P:80年代に起こった音楽的ムーブメントについてはどんな意見を持っていますか?社会的に難しい時期もあったのでは?
J:バラォン・マジコの活動を通して、あの時代に音楽的ムーブメントがあることは知っているけど…それ自体について特に何かを意識してどうこうってことはあまりなかったよ。本格的に音楽活動を始めたのは90年代の後半からだということもあるね。
でも80年代のあの時代は世界的にとても面白い要素がたくさん生まれた時期だよね。ブラジルではパララマス・ド・スセッソ、レジアォン・ウルバナ、ウルトラジェ・ア・ヒゴールなどのバンドが活躍していた時期だし、自分自身もそれを楽しむのに夢中だったと思う。子供だったけどね。
P:トゥルマ・ダ・バラォン・マジコを引退したあと、アメリカへ留学していますよね。その少し前に「バラォン・マジコ」の主題歌も歌っていたシモニーと交流があったと思うのですが、その時期の活動について教えてください。
J:僕にとってとても意味のある時期だったと思う。ブラジルだけじゃなくスペイン、ポルトガル、メキシコ、アルゼンチン、アメリカなど、外国でもCDがリリースされたしね。自分の中での意識が高まったというか。シモニーも同じ気持ちだったと思うよ。もちろん、僕が本格的にアーティストとして活動し始めたのは1993年にボストンのバークリー音楽大学に入ってからだけどね。
P:TV GLOBOのテレノヴェーラ、「Cobras e Lagartos」ではサントラに参加していますね。奥様であるタニア・カリルが出演していたことで、夫婦共演も実現したと思うのですが…どんないきさつでサントラに参加することになったのですか?
J:インディーズで活動するのはどこでも簡単なことじゃないと思うんだけど、ブラジルの場合はテレノヴェーラのサントラに起用されることがとても大きなプロモーションになるんだ。今回はブラジル最大のテレビ局ゴールデンタイムの番組だったから、効果もかなりあった。インディーズで活動するアーティストにとってはとても大きなチャンスだよね。
僕の場合はタニアに「Cobras e Lagartos」のディレクター、ウォルフ・マイアを紹介してもらったのが始まりだった。そのときラザロ・ラモスが演じる役のテーマを探しているって話になって、僕はちょうど新作のレコーディングを終えたばかりだったから、試しにウォルフとラザロにサンプルCDを渡したんだ。そうしたらふたりが "Tiro Onda"が気に入ったってすぐに連絡をくれてね。音楽ディレクターのマリオジーニョ・ホーシャがサントラに入れることを決めて…。タニアがノヴェーラに出演したのも偶然だったんだよ。
P:お父さんであるジャイル・ホドリゲスの活躍、そして今では息子ジャイル・オリヴェイラがこうして一人のアーティストとして人気を得ているわけですが、ウィルソン・シモナル、ウィルソン・シモニーニャ、マックス・ヂ・カストロ親子をはじめ、"2代目"の活躍をみることができる時代になっていますが、あなたがたの世代の未来はどうなると思いますか?また、子どもができたら同じように音楽の道に進んでほしいと思いますか?
J:実はそこまで意識してないんだ。どんなにすばらしい才能を受け継いでいたとしても、努力しなかったらそこで終わってしまうからね。自分たちの遺伝子に自信を持つことはしないようにしているよ。どんなに優れた医者の息子だって、努力しないと病人を治すことはできないだろう?アーティストだって同じだよ。時代の一線で活躍していたアーティストの近くにいたことはプレッシャーでもあったしね。どんなことをしても比較されてしまっていたし…。でも今はそれぞれが自分たちのスタイルを確立しているし、僕らの世代は僕らの世代としてこれからも発展していくはずだよ。自分の子どもかぁ…。もし子どもに恵まれても、音楽の道に進むように言うことはないと思うよ。子どもには好きなことをさせてあげたいね。ただ、もし僕と同じようにアーティストになる道を選んだとしたら、僕が父や祖父にしてもらったのを同じように教育してあげたいと思ってるよ。
P:去年はそのお父さんがTim賞を受賞しましたね。
J:とても感動的だったし、誇りに思っているよ。未だに活動を続けているアーティストにトリビュート賞を与えるというのはすばらしいアイディアだね。父はとても喜んでいたし、僕もすごくうれしかったよ。
P:今回は2回目の来日ですよね?
J:10年も前だからね。街の様子は少し変わったと思うけど…でも東京は相変わらず美しい街だなって思ったよ。地下鉄の整備もきちんとしているし、旅行者にも親切。人もとてもやさしくて、いつでも温かく迎えてくれるのが本当にうれしいんだ。日本語ができなくてもね(笑)
今回の来日はソニア・ローザ、オスカル・カストロ・ネーヴェス、ホメロ・ルバンボ、パウロ・ブラガ、パウロ・カラザンス、セルジオ・ブランダォン、マルコ・ボスコ、そして友人のシモニーニャ…信じられないくらい豪華なメンバーだった。忘れらない思い出になったし、またこのメンバーでショーをしようって話もしているよ。
今回一緒に来た妻のタニアは日本が初めてで、彼女もとても気に入っていたよ。妻と一緒に過ごしたことでロマンチックな時間をもてたこともできてうれしく思っているよ。
P:今回はゲスト出演ということでしたが、近い将来ウィルソン・シモニーニャとふたりのショーが実現される予定はありますか?
J:その予定はあると思うし、ぜひやりたいと思っているよ。日本人のファンの人たちはいつも僕たちにメッセージをくれるんだ。言葉も全く違う、こんなに遠い国の人にも僕たちの音楽が届いていると思うととてもうれしいよ。日本でショーができるように頑張らなくちゃと思っているよ! P:次回の来日ではぜひルシアーナ・メロも一緒に!
J:僕たちの祖母、マリア・イケノウチは日本人だからね。ふたりとも日本にはとても親しみを感じているよ。前回、1996年に来日したときは一緒に来たんだけど…あの頃と今ではアーティストとしての意識も全然違うし、アーティストとして全世界で演奏したいと思っている気持ちは僕と変わらないよ。ジャイル・ホドリゲス、ルシアーナ・メロ、そして僕の3人で日本でショーをやりたいって話もしているんだ。すぐに実現するといいな!
P:最後にファンの皆さんにメッセージをお願いします。
J:温かく迎えてくれてありがとう!日本の人々は礼儀正しくて、やさしくて、すばらしいね。学ぶことがたくさんあるといつも感じているよ。日本には今のブラジルでは忘れかけられている昔の名曲のファンもたくさんいるよね。レアものの名盤レコードが日本だけにあるなんてことがしょっちゅうあるのは面白いね。異国でブラジルの文化が息づいているのをうれしく思っているよ。
ジャイル・オリヴェイラ オフィシャルサイト
www.jairoliveira.com.br
ジャイルへのメッセージはこちらから!
jairoliveira@jairoliveira.com.br
Jair Oliveira バイオグラフィー
1975年3月16日生まれ。同じく歌手のジャイル・ホドリゲスを父に持つ。6歳でジャイル・ホドリゲスのアルバム『Deus Salvador』(1982)に参加。さらに子ども向け番組、「バラォン・マジコ」に出演、トゥルマ・ダ・バラォン・マジコとして活躍する。その後シモニーと音楽活動を始めるもすぐにボストンのバークリー音楽学校に留学する。帰国後、自身として初めてのアルバム『Dis' Ritima』をリリース。ジャイル自身も所属するインディーズレーベル、トラマのウィルソン・シモニーニャ、マックス・ヂ・カストロ、オットー、ペドロ・マリアーノなどと交流を持ち、"2世アーティスト"としての注目を集めながらも独自をスタイルを確立。実の妹で同じく歌手のルシアーナ・メロのプロデュースも手がけ、国内外で高い人気を得ている。
ポケブラス(以下P:)お父さんはすでに偉大なアーティストとして有名でしたが、自身でもアーティストになろうと思ったきっかけのようなものはありますか?ジャイル・オリヴェイラ(以下J):僕は生まれたときから音楽に囲まれて育ったんだ。音楽は僕にとって家族みたいなものだよ。音楽に教えてもらったこともたくさんある。だからアーティストになるのはとても自然なことだった。バラォン・マジコで子供のころから音楽活動もしていたしね。ただ、意識してアーティストになろう、と決めたのは思春期を過ぎたあたりかな。何がきっかけでということはないんだけど、これからの人生もずっと音楽とともに生きていこうと突然思った瞬間があったのを覚えているよ。
P:影響を受けた音楽はどんなものでしたか?
J:名前を挙げだしたらきりがないけど…父のジャイル・ホドリゲス、ジャヴァン、ジョアン・ボスコ、トム・ジョビン、パウリーニョ・ダ・ヴィオラ、シコ・ブアルキ、チン・マイア、トン・ゼー、エルメト・パスコアル、アストル・ピアソラ、スティーヴィー・ワンダー、ジェームス・ブラウン、マイケル・ジャクソン、クインシー・ジョーンズ、マイルス・デイビス、ジョン・コルトレイン、ウェス・モントゴメリー、ケニー・バレル、ティンバーランド、ディアンジェロ、そしてエヂ・モッタ、マックス・ヂ・カストロ、ウィルソン・シモニーニャ、セウ・ジョルジ、パウラ・リマ、オットー、ルシアーナ・メロ、ペドロ・マリアーノたちとはお互いに影響し合ってきたし、これからもその関係は続いていくと思う。
ジャンルで考えるとしたらバイアォン、フレーヴォ、マラカトゥみたいなブラジルの伝統的なリズムからファンクやジャズ、アシッドジャズをよく聴いていたけど、やっぱり僕のアルバムにはサンバの色が一番強く出ていると思うな。
P:80年代に起こった音楽的ムーブメントについてはどんな意見を持っていますか?社会的に難しい時期もあったのでは?
J:バラォン・マジコの活動を通して、あの時代に音楽的ムーブメントがあることは知っているけど…それ自体について特に何かを意識してどうこうってことはあまりなかったよ。本格的に音楽活動を始めたのは90年代の後半からだということもあるね。
でも80年代のあの時代は世界的にとても面白い要素がたくさん生まれた時期だよね。ブラジルではパララマス・ド・スセッソ、レジアォン・ウルバナ、ウルトラジェ・ア・ヒゴールなどのバンドが活躍していた時期だし、自分自身もそれを楽しむのに夢中だったと思う。子供だったけどね。
P:トゥルマ・ダ・バラォン・マジコを引退したあと、アメリカへ留学していますよね。その少し前に「バラォン・マジコ」の主題歌も歌っていたシモニーと交流があったと思うのですが、その時期の活動について教えてください。
J:僕にとってとても意味のある時期だったと思う。ブラジルだけじゃなくスペイン、ポルトガル、メキシコ、アルゼンチン、アメリカなど、外国でもCDがリリースされたしね。自分の中での意識が高まったというか。シモニーも同じ気持ちだったと思うよ。もちろん、僕が本格的にアーティストとして活動し始めたのは1993年にボストンのバークリー音楽大学に入ってからだけどね。
P:TV GLOBOのテレノヴェーラ、「Cobras e Lagartos」ではサントラに参加していますね。奥様であるタニア・カリルが出演していたことで、夫婦共演も実現したと思うのですが…どんないきさつでサントラに参加することになったのですか?
J:インディーズで活動するのはどこでも簡単なことじゃないと思うんだけど、ブラジルの場合はテレノヴェーラのサントラに起用されることがとても大きなプロモーションになるんだ。今回はブラジル最大のテレビ局ゴールデンタイムの番組だったから、効果もかなりあった。インディーズで活動するアーティストにとってはとても大きなチャンスだよね。
僕の場合はタニアに「Cobras e Lagartos」のディレクター、ウォルフ・マイアを紹介してもらったのが始まりだった。そのときラザロ・ラモスが演じる役のテーマを探しているって話になって、僕はちょうど新作のレコーディングを終えたばかりだったから、試しにウォルフとラザロにサンプルCDを渡したんだ。そうしたらふたりが "Tiro Onda"が気に入ったってすぐに連絡をくれてね。音楽ディレクターのマリオジーニョ・ホーシャがサントラに入れることを決めて…。タニアがノヴェーラに出演したのも偶然だったんだよ。
P:お父さんであるジャイル・ホドリゲスの活躍、そして今では息子ジャイル・オリヴェイラがこうして一人のアーティストとして人気を得ているわけですが、ウィルソン・シモナル、ウィルソン・シモニーニャ、マックス・ヂ・カストロ親子をはじめ、"2代目"の活躍をみることができる時代になっていますが、あなたがたの世代の未来はどうなると思いますか?また、子どもができたら同じように音楽の道に進んでほしいと思いますか?
J:実はそこまで意識してないんだ。どんなにすばらしい才能を受け継いでいたとしても、努力しなかったらそこで終わってしまうからね。自分たちの遺伝子に自信を持つことはしないようにしているよ。どんなに優れた医者の息子だって、努力しないと病人を治すことはできないだろう?アーティストだって同じだよ。時代の一線で活躍していたアーティストの近くにいたことはプレッシャーでもあったしね。どんなことをしても比較されてしまっていたし…。でも今はそれぞれが自分たちのスタイルを確立しているし、僕らの世代は僕らの世代としてこれからも発展していくはずだよ。自分の子どもかぁ…。もし子どもに恵まれても、音楽の道に進むように言うことはないと思うよ。子どもには好きなことをさせてあげたいね。ただ、もし僕と同じようにアーティストになる道を選んだとしたら、僕が父や祖父にしてもらったのを同じように教育してあげたいと思ってるよ。
P:去年はそのお父さんがTim賞を受賞しましたね。
J:とても感動的だったし、誇りに思っているよ。未だに活動を続けているアーティストにトリビュート賞を与えるというのはすばらしいアイディアだね。父はとても喜んでいたし、僕もすごくうれしかったよ。
P:今回は2回目の来日ですよね?
J:10年も前だからね。街の様子は少し変わったと思うけど…でも東京は相変わらず美しい街だなって思ったよ。地下鉄の整備もきちんとしているし、旅行者にも親切。人もとてもやさしくて、いつでも温かく迎えてくれるのが本当にうれしいんだ。日本語ができなくてもね(笑)
今回の来日はソニア・ローザ、オスカル・カストロ・ネーヴェス、ホメロ・ルバンボ、パウロ・ブラガ、パウロ・カラザンス、セルジオ・ブランダォン、マルコ・ボスコ、そして友人のシモニーニャ…信じられないくらい豪華なメンバーだった。忘れらない思い出になったし、またこのメンバーでショーをしようって話もしているよ。
今回一緒に来た妻のタニアは日本が初めてで、彼女もとても気に入っていたよ。妻と一緒に過ごしたことでロマンチックな時間をもてたこともできてうれしく思っているよ。
P:今回はゲスト出演ということでしたが、近い将来ウィルソン・シモニーニャとふたりのショーが実現される予定はありますか?
J:その予定はあると思うし、ぜひやりたいと思っているよ。日本人のファンの人たちはいつも僕たちにメッセージをくれるんだ。言葉も全く違う、こんなに遠い国の人にも僕たちの音楽が届いていると思うととてもうれしいよ。日本でショーができるように頑張らなくちゃと思っているよ! P:次回の来日ではぜひルシアーナ・メロも一緒に!
J:僕たちの祖母、マリア・イケノウチは日本人だからね。ふたりとも日本にはとても親しみを感じているよ。前回、1996年に来日したときは一緒に来たんだけど…あの頃と今ではアーティストとしての意識も全然違うし、アーティストとして全世界で演奏したいと思っている気持ちは僕と変わらないよ。ジャイル・ホドリゲス、ルシアーナ・メロ、そして僕の3人で日本でショーをやりたいって話もしているんだ。すぐに実現するといいな! P:最後にファンの皆さんにメッセージをお願いします。
J:温かく迎えてくれてありがとう!日本の人々は礼儀正しくて、やさしくて、すばらしいね。学ぶことがたくさんあるといつも感じているよ。日本には今のブラジルでは忘れかけられている昔の名曲のファンもたくさんいるよね。レアものの名盤レコードが日本だけにあるなんてことがしょっちゅうあるのは面白いね。異国でブラジルの文化が息づいているのをうれしく思っているよ。
ジャイル・オリヴェイラ オフィシャルサイト
www.jairoliveira.com.br
ジャイルへのメッセージはこちらから!
jairoliveira@jairoliveira.com.br
Jair Oliveira バイオグラフィー
1975年3月16日生まれ。同じく歌手のジャイル・ホドリゲスを父に持つ。6歳でジャイル・ホドリゲスのアルバム『Deus Salvador』(1982)に参加。さらに子ども向け番組、「バラォン・マジコ」に出演、トゥルマ・ダ・バラォン・マジコとして活躍する。その後シモニーと音楽活動を始めるもすぐにボストンのバークリー音楽学校に留学する。帰国後、自身として初めてのアルバム『Dis' Ritima』をリリース。ジャイル自身も所属するインディーズレーベル、トラマのウィルソン・シモニーニャ、マックス・ヂ・カストロ、オットー、ペドロ・マリアーノなどと交流を持ち、"2世アーティスト"としての注目を集めながらも独自をスタイルを確立。実の妹で同じく歌手のルシアーナ・メロのプロデュースも手がけ、国内外で高い人気を得ている。
取材協力:麻生雅人、Willie Whooper
2007年01月08日
ソニア・ローザ インタビュー!
ポケブラス(以下P):幼い頃はどんな音楽を聴いていましたか?また、アーティストになろうと思ったのはどうしてですか?ソニア(以下S):ボサノヴァばかり聴いていたわ。当時の流行の音楽だったしね。それで耳で聴いたものをギターで弾くことを覚えて作曲するようになったの。頭に浮かんだものをギターで奏でるっていうスタイルでね。それからジャイル・ホドリゲスとエリス・ヘジーナの番組「O Fino Da Bossa」に何度もゲスト出演してマルコス・ヴァーリやジョニー・アルフの曲など当時のヒット曲を歌ってた。そのあと自分のアルバムをリリースしたの。日本に来たのはそのすぐ後。
P:日本に来ることになったきっかけを教えてください。一説にはソニアさん自身で作曲した"Mas Nao Da"という曲に惚れこんだ日本人プロデューサーがいたとか?
S:実はその曲のあとに日本行きを決定付けた曲があってね。何だと思う?美空ひばりの「リンゴ追分」! P:え!そのとき日本の歌を歌ったんですか?
S:「リンゴ追分」をボサノヴァで歌ってみてほしいって言われてやってみたの。その場でアレンジして歌ったらすっかり気に入られちゃってね。今すぐ日本に来てデビューして欲しいって。でも当時わたしはまだ18歳だったし、父が日本行きを許してくれるはずはなかった。だから家出同然でうちを出て、それで日本にやって来たのよ。
P:当時は今と違ってブラジルにいる家族と連絡をとることも容易ではなかったはずですよね?インターネットもないし…
S:そうね。来日して1ヶ月で10キロも痩せちゃったし、不安もあった。それに両親に内緒で来たってことを告げたらプロデューサーもマネージャーもみんな慌てちゃって、今すぐブラジルに帰れとまで言われたのよ。でも帰らなかった。ブラジルでは 18歳はもう大人だし、自分で決めたことがきちんとした形になるかどうか見てみたかったから。
それからアルバムをリリースするまでは本当にあっという間だった。立ち止まって考える暇なんてなかったわ。そしてそれから1年後、レコード会社の人が母を日本に呼び寄せてくれたの。ブラジルから友達が来ているみたいだから会いに行ってごらんって言われて、待っていたのは母だったの。
P:そんな粋な計らいが!感動の再会、しかもサプライズだったんですね。
S:びっくりしたわ。それから何年かして自分が母親になってみて、わたしは自分の両親になんてひどいことをしたんだろうってものすごく反省した。母親の子を想う気持ちをようやく理解したのね。だまって知らない国に行っちゃうなんて。自分の息子たちには絶対にさせないわ!(笑)
P:なるほど(笑)。
さて、当時の日本の音楽ファンの間ではソニアさんの歌声に憧れた人がたくさんいたようですが、同時にファッションリーダー的な存在だったとも言えますよね?ファンの女の子はみんな当時流行していたミニスカートを履いてギターを持って…
S:あら、本当?ありがとう!ファッションは昔から大好きよ。今までのCDジャケットや今回のブルーノート公演のドレスもわたしがデザインしたの。ハワイに"Sonia Daniel"というブランドのお店も立ち上げたのよ。日本でもオープンできるといいんだけど…
P:現在の活動についてもお聞きしたいのですが、まずは今回の公演について、どんな思い入れがあったか教えてください。
S:まず、ショーの合間のMCを日本語でできるようになったことでお客さんの反応が変わるってことは予想していた。わたしはブラジル人だけど、日本での生活の方がブラジルにいた18年間より長いし、アイデンティティはほとんど日本人みたいなものね。日本に来たばかりのころはただ何を言われても「はい」と答えていただけだったけど(笑)。今は違う。お客さんの反応を見ながら100%日本語で。もちろん、日本語がわからないバンドのメンバーとは英語やポルトガル語で話したりもしたけど。それはわたしの夢のひとつでもあったの。
P:公演でのMCは確かにすべて日本語でしたね!アドリブも満載で…
S:そうなの!決められてもなかなかそのときになると…ね。思い浮かんだことを次々言っちゃって、指揮者もやってくれたオスカルはタイミングが計れなくて困ってたわね(笑)。精神がどっかいっちゃうのよ。カラダから離れたところに…きっと富士山のあたりね。そうそう、富士山が大好きなの!月に一度は近くで見ないと気が済まない! (しばし富士山話で盛り上がる)
P:もうすっかり"日本人"になってしまったんですね(笑)。MCは日本語でしたが、歌はポルトガル語ですよね。
S:不思議なんだけど、音楽に対しては言語の違いはあんまり気にしていないの。たとえポルトガル語がわからなくたって音楽にこめた気持ちは伝わるわ。これはデビューしたときから今までずっと感じていた。じゃなかったら日本でこんなに外国の音楽が支持されるわけもないでしょ。わたしの音楽に対してもファンの方たちは心で聴いてくれていたと思う。だから日本が好きっていうのもあるわ。レコードやCD では伝えきれない思いもショーならさらに伝えることができるし、今回の公演はいろんな意味でわたしの集大成ね。
いざ始まってみると、お客さんの層はバラバラだった。息子(ソニアさんの長男DJ TAROさんはラジオパーソナリティー、アレンジャーとして活躍中)のファンも大勢いたし、昔からのファンの方も来てくれた。うれしかったわ。今回の作品もそうしていろんな層の人に聴いてもらいたいと思ってる。今の若い子たちは幅広いジャンルの音楽をたくさん聴いているでしょう。リスナーのクオリティも確実に高くなっているわね。
P:レコーディングはホノルルとロサンゼルスで行われたそうですね。
S:だいたいの雰囲気はホノルルで完成させた。そのあとロサンゼルスでミックスして、また新しいアイディアが生まれて…共演したイヴァン・リンスとはスケジュールがすれ違いになってしまったんだけど、大きなスクリーンにお互いを映してバーチャルに手をつなぎながらデュエットしたのよ!これはみんなの愛がたっぷりつまった作品だといえるわ。マルコ・ボスコ、オスカル・カストロ・ネーヴェスたち昔からの友人や、友人の息子たちのジャイル・オリヴェイラ、ウィルソン・シモニーニャ、それからわたしの実の息子のTARO。本当にひとつのファミリーでつくりあげたような作品だと言えるわ。 P:イヴァン・リンス氏との共演の話が持ち上がったのはどんな経緯で?
S:イヴァンとは彼がこっちに来たときに日本で知り合ったの。ずっとこういうことがしたいねって話をしていて、ようやく今回実現したところよ。
P:さらに、ジャイル・オリヴェイラ氏とウィルソン・シモニーニャ氏による楽曲提供は、やはり彼らの父たちとの交流があった関連で実現したのでしょうか?
S:11曲のうち、2曲がジャイル、1曲がシモニーニャの作品なんだけど、彼らの曲だってことは曲を選び終わってから知らされたの!収録した曲は今回のプロデューサーでもあるマルコに渡された90曲の中から選んだのだけど、選曲が終わったあと「ところで、この曲は誰が作ったと思う?」って訊かれて。二人の名前を聞いたときはびっくりして気絶するかと思ったわ!
P:そうだったんですか!ところでブラジルでこのアルバムのショーも予定されているそうですが、アルバムは日本で発売されたあとにブラジルでリリースされる予定ですよね?
S:その順番は絶対に変えたくなかった。わたしは日本で活動してきたアーティストだから。まず日本で発売することに意味があると確信していたの。
P:最後に、ファンに向けてメッセージをお願いします。
S:そうね、まず日本人のファンの方とブラジル人の方へ向けたメッセージだとだいぶ違うものになるわ。
日本人のファンの方には…まずこの土地にわたしを受け入れてくれたことに感謝しています。みんないつでも温かく迎えてくれたし、わたしも日本が大好きになった。自分は日本人なんじゃないかって思っているくらいよ。今回の作品は世界的に有名なブラジルの一流アーティストが集まって心をこめて作った作品。昔からのファンの方にもわたしの名前を初めて聴く若い人にも聴いてもらいたい。日本全国ツアーもやってみたいし。もちろん今回のメンバー全員とね!
そしてブラジル人の方には…これからわたしのこと、わたしが日本でしてきたことを知ってもらいたい。こんなに遠いところでボサノヴァを歌っていたブラジル人歌手がいるってことをね。これからどうぞよろしくね。
2006年12月01日
ヤマンドゥ・コスタ インタビュー!
ブラジルの天才ギタリスト、ヤマンドゥ・コスタが2回目の来日!過密スケジュールの中、コンサート前にPOKEBRASのインタビューに応じてくれました!
ポケブラス(以下P):今回の公演の話の前に、ミナスジェイス州ベロオリゾンチで収録されたDVDについて少し教えてください。即興のライブ盤というのはかなり挑戦ではないかと思うのですが…
ヤマンドゥ・コスタ(以下Y):そうだね。あのDVDは去年日本に来たときにも一緒だったトリオ・サンパウロをゲストに迎えて収録したんだ。収録は 2002年。まだ経験があまりなかったから大変だったよ。やっぱり緊張したね。今回はソロのコンサートだからまた違ったものになる予定だけど。
P:やはりショーは緊張するものですか?
Y:普段はそんなことないんだけどね。小さい頃からずっと父について音楽を聴いていたから、舞台に上がること自体には慣れているし。本当に小さい頃は舞台の上でお昼寝…なんてこともあったよ。
P:今回のショーの前には、いくつかの場所で無料のワークショップやミニライブも行っていますよね。感想を聞かせてください。
Y:ミニライブはブラジルでもよくやるんだよ。お客さんにすごく近いところで演奏するのは好きなんだ。どんな風に僕の音楽を聴いてくれているのかを肌で感じることができるからね。ワークショップについては、父も音楽の先生だったし、音楽を教えることは僕にとってはとても自然なことというか…。それから、生徒と直接話をしながら指導するというのは大切なことだと思っているよ。楽器と演奏者との対話もね。対話といえば、日本で活動しているバンド、バランサの阿部さんとも会ったけど、ざっくばらんにいろいろな話ができてよかったよ。言葉を交わすことも音楽を理解する助けになると思ってるんだ。
P:今回のショーは2度目の来日公演となりますが、日本の印象はどうですか?
Y:前回ショーをしたときに思ったのは、とにかくお客さんの気持ちをすごく感じることができるってこと。日本人ってもっと冷たいイメージがあったけど(笑)、実際は全くそんなことなくて。だから今回のショーもものすごく楽しみにしてきたんだ。
P:東京以外で行ってみたいところはありますか?
Y:歴史的な建物があるところがいいな。京都とか。今回は時間がなさそうだなぁ。残念。
P:東京とは違った魅力があると思いますよ!次回はぜひ!最後に、ブリュッセルで収録された新作について少し教えてください。
Y:今作は新しいトリオでやることにしたんだ。来年日本でまたショーができるとしたらぜひ連れてきて一緒に演奏したいと思っているよ。僕のオリジナル楽曲をギター、アコースティックベース、バイオリンで演奏してね。内容は文学的なエッセンスを入れた曲もあるし、ガウーショ(ブラジル南部出身者を指す)文化に触れた曲もある。レコーディングを行った聖堂はとてもきれいな場所で、あんな経験は初めてだったよ。実は仕上がりをまだ聴いていないから楽しみだな。発売は年明けすぐを予定しているよ。
P:楽しみにしています!どうもありがとうございました。
都内某所のレストランでのインタビューに応じてくれたヤマンドゥ氏。お店の人が試しに、と出してくれた抹茶を珍しそうに飲んでいました。日本文化にはかなり興味もある様子。次の来日が楽しみですね!
ヤマンドゥ・コスタ バイオグラフィー
1980年、リオグランヂドスル生まれ。バンド"Os Fronteriricos"のリーダーとして活動していた父親に習いながら7歳でギターを始める。ブラジル南部出身ということもあり、若い頃からアルゼンチン、ウルグアイの音楽を聴いて育つと同時にバーデン・パウエル、トム・ジョビン、ハファエル・ハベーロなどの音楽からも影響を受ける。
2005年、初来日を果たし、ショーは大成功。"ブラジルを驚愕させた若き7弦ギタリスト"としてその名を本国のみならず世界中にとどろかせている。
「AGORA SIM!」
街でもブラジル:ヤマンドゥ・コスタ 来日公演決定!(2006/11/10)
ヤマンドゥ・コスタオフィシャルサイト:
www.yamandu.com.br
トゥピニキーンエンターテイメント:
www.tupiniquim.jp
ポケブラス(以下P):今回の公演の話の前に、ミナスジェイス州ベロオリゾンチで収録されたDVDについて少し教えてください。即興のライブ盤というのはかなり挑戦ではないかと思うのですが…
ヤマンドゥ・コスタ(以下Y):そうだね。あのDVDは去年日本に来たときにも一緒だったトリオ・サンパウロをゲストに迎えて収録したんだ。収録は 2002年。まだ経験があまりなかったから大変だったよ。やっぱり緊張したね。今回はソロのコンサートだからまた違ったものになる予定だけど。
P:やはりショーは緊張するものですか?
Y:普段はそんなことないんだけどね。小さい頃からずっと父について音楽を聴いていたから、舞台に上がること自体には慣れているし。本当に小さい頃は舞台の上でお昼寝…なんてこともあったよ。
P:今回のショーの前には、いくつかの場所で無料のワークショップやミニライブも行っていますよね。感想を聞かせてください。
Y:ミニライブはブラジルでもよくやるんだよ。お客さんにすごく近いところで演奏するのは好きなんだ。どんな風に僕の音楽を聴いてくれているのかを肌で感じることができるからね。ワークショップについては、父も音楽の先生だったし、音楽を教えることは僕にとってはとても自然なことというか…。それから、生徒と直接話をしながら指導するというのは大切なことだと思っているよ。楽器と演奏者との対話もね。対話といえば、日本で活動しているバンド、バランサの阿部さんとも会ったけど、ざっくばらんにいろいろな話ができてよかったよ。言葉を交わすことも音楽を理解する助けになると思ってるんだ。P:今回のショーは2度目の来日公演となりますが、日本の印象はどうですか?
Y:前回ショーをしたときに思ったのは、とにかくお客さんの気持ちをすごく感じることができるってこと。日本人ってもっと冷たいイメージがあったけど(笑)、実際は全くそんなことなくて。だから今回のショーもものすごく楽しみにしてきたんだ。
P:東京以外で行ってみたいところはありますか?
Y:歴史的な建物があるところがいいな。京都とか。今回は時間がなさそうだなぁ。残念。
P:東京とは違った魅力があると思いますよ!次回はぜひ!最後に、ブリュッセルで収録された新作について少し教えてください。
Y:今作は新しいトリオでやることにしたんだ。来年日本でまたショーができるとしたらぜひ連れてきて一緒に演奏したいと思っているよ。僕のオリジナル楽曲をギター、アコースティックベース、バイオリンで演奏してね。内容は文学的なエッセンスを入れた曲もあるし、ガウーショ(ブラジル南部出身者を指す)文化に触れた曲もある。レコーディングを行った聖堂はとてもきれいな場所で、あんな経験は初めてだったよ。実は仕上がりをまだ聴いていないから楽しみだな。発売は年明けすぐを予定しているよ。
P:楽しみにしています!どうもありがとうございました。
都内某所のレストランでのインタビューに応じてくれたヤマンドゥ氏。お店の人が試しに、と出してくれた抹茶を珍しそうに飲んでいました。日本文化にはかなり興味もある様子。次の来日が楽しみですね!
ヤマンドゥ・コスタ バイオグラフィー
1980年、リオグランヂドスル生まれ。バンド"Os Fronteriricos"のリーダーとして活動していた父親に習いながら7歳でギターを始める。ブラジル南部出身ということもあり、若い頃からアルゼンチン、ウルグアイの音楽を聴いて育つと同時にバーデン・パウエル、トム・ジョビン、ハファエル・ハベーロなどの音楽からも影響を受ける。
2005年、初来日を果たし、ショーは大成功。"ブラジルを驚愕させた若き7弦ギタリスト"としてその名を本国のみならず世界中にとどろかせている。
「AGORA SIM!」
街でもブラジル:ヤマンドゥ・コスタ 来日公演決定!(2006/11/10)
ヤマンドゥ・コスタオフィシャルサイト:
www.yamandu.com.br
トゥピニキーンエンターテイメント:
www.tupiniquim.jp
2006年11月14日
DJマルボロインタビュー!
ファンキ・カリオカのカリスマDJ、DJマルボロが初来日!忙しいスケジュールの合間を使ってポケブラスのインタビューに応じてくれました!
ポケブラス(以下P):日本の印象はどうですか?
DJマルボロ(以下M):外国に来るのはいつもすごく楽しみにしているんだよ。特に日本みたいに言葉も文化も全く違う国に来るといつも新しい発見があって。歴史が刻まれているっていうのも感じるよ。
P:日本の風景の中に日本の歴史を感じますか?
M:日本は原爆を落とされた国でもあるし、第2次世界大戦後の街の状態が悲惨だったっていうのは聞いていたけど一体どうやってここまでに再生したんだろうって驚いたよ。しかも日本では地震がよく起きるだろう?
ブラジルの場合は地理的に恵まれているからあまり努力しないのかもしれないね。何かを動かすための原動力を得るには何かしらのショックが必要なんだと思ったよ。ブラジルはすばらしい国だと思っているけど、そういう意味では甘んじてるがゆえに成長できないところもあるのかもしれない。経済的にも社会的にもね。
P:社会的問題といえばファンキはファヴェーラ(スラム街)から発祥した音楽だとされていますが、それについてもう少し教えてください。
M:信じられないかもしれないけど、ファンキをクラブでかけるのは条例で禁止されているんだよ。リオデジャネイロではサンバもパゴーヂもロックもフォホーもヒップホップも聴けるのに、ファンキだけはダメなんだ。
P:え!?ヒップホップがよくてファンキが禁止というのは納得できないのですが…どちらともゲットー発の音楽では?
M:それがそうでもないみたいなんだ。ファンキもヒップホップと同じ立場だし、ラップが"Rhythm And Poetry"の略だというのならファンキこそブラジル発のオリジナルなヒップホップであるはずなのに、多くの人はそうは考えていないみたいだね。
世界的な評価をみれば
ポケブラス(以下P):日本の印象はどうですか?DJマルボロ(以下M):外国に来るのはいつもすごく楽しみにしているんだよ。特に日本みたいに言葉も文化も全く違う国に来るといつも新しい発見があって。歴史が刻まれているっていうのも感じるよ。
P:日本の風景の中に日本の歴史を感じますか?
M:日本は原爆を落とされた国でもあるし、第2次世界大戦後の街の状態が悲惨だったっていうのは聞いていたけど一体どうやってここまでに再生したんだろうって驚いたよ。しかも日本では地震がよく起きるだろう?
ブラジルの場合は地理的に恵まれているからあまり努力しないのかもしれないね。何かを動かすための原動力を得るには何かしらのショックが必要なんだと思ったよ。ブラジルはすばらしい国だと思っているけど、そういう意味では甘んじてるがゆえに成長できないところもあるのかもしれない。経済的にも社会的にもね。
P:社会的問題といえばファンキはファヴェーラ(スラム街)から発祥した音楽だとされていますが、それについてもう少し教えてください。
M:信じられないかもしれないけど、ファンキをクラブでかけるのは条例で禁止されているんだよ。リオデジャネイロではサンバもパゴーヂもロックもフォホーもヒップホップも聴けるのに、ファンキだけはダメなんだ。
P:え!?ヒップホップがよくてファンキが禁止というのは納得できないのですが…どちらともゲットー発の音楽では?
M:それがそうでもないみたいなんだ。ファンキもヒップホップと同じ立場だし、ラップが"Rhythm And Poetry"の略だというのならファンキこそブラジル発のオリジナルなヒップホップであるはずなのに、多くの人はそうは考えていないみたいだね。
世界的な評価をみれば




