「トッキーニョ
〜 声とギターの楽しい融合」
トッキーニョ、本名アントニオ・ペッチ・フィーリョは優れた歌唱力、ギターテクニックそして作曲センスが揃った完全なアーティスト。なんといっても、水の滴のように透明感のあるギターサウンドと優しさのこもった歌声は、日本でも多くのファンを魅了している。
1946年、サンパウロに生まれたトッキーニョは少年期からギターが好きで、14歳から本格的にポピュラー、クラシック・ギターを習い始める。その後、音楽理論やアレンジも勉強した彼は、ブラジリアン・ギターの巨匠パウリーニョ・ノゲイラに師事。バーデン・パウエルの影響も強く受けたという。
60年代のボサノヴ全盛期には、当時、人気を博していたエリス・ヘジーナ、ジンボ・トリオ、マルコス・ヴァーリや、以降、盟友となるシコ・ブアルキらのバックバンドの一員としてステージに上がる。ほかにも舞台劇などの音楽を手がけるなどしながら、数々の音楽フェスティバルに自作曲をエントリーしていく。
63年にボサノヴァの定番曲を歌った1stシングルを、66年にギターのインストゥルメンタル曲を収めた1stアルバム『O Violao do Toquinho』をリリース。69年には、シコ・ブアルキの"自主亡命"に付き添ってイタリアに半年ほど滞在。シコと二人で行った数々のライブは高い評価を得る。イタリア滞在中、ボサノヴァの詩人ヴィニシウス・ヂ・モラエスの曲をイタリア語で歌ったアルバム『La Vita Amico E L'Arte dell'incontro』(69)に参加。これをきっかけに、帰国後、ヴィニシウス本人から共演の誘いを受けることとなる。
ボサノヴァ・ブームが去ったあと、トッキーニョはヴィニシウス・ヂ・モラエスとパートナーを組み、MPB史上、最も名高いコンビが誕生する。二人は、"ポエータ(詩人)"ヴィニシウスが1980年にこの世を去るまでの11年間に渡り、120にも上る楽曲を生み出し、1000回ものライブを行った。70年代のテレビドラマのサントラ(『O Bem Amado』(73)が最も有名)でも数々のヒット曲を世に送りだした。
二人が作った名曲には、水彩画をイメージし、今でもトッキーニョのベストソングとされる「
」、バイーアにある魅惑のビーチを歌った「
(イタポアンの午後)」、浮気による恋の破局を歌った「
(三角定規)」、トム・ジョビンへのオマージュである「Carta ao Tom 74(トムへの手紙)」、「O Velho e a Flor」、「Cotidiano」、「A Tonga da Mironga do Kabulete」、「
」など、数え上げればきりがない。
トッキーニョはほかにも多くのアーティストと共作しており、ジョルジ・ベンジョールとの「Que Maravilha」、シコ・ブアルキとの「Lua Cheia」、「Samba de Orly」、「Samba pra Vinicius」、作曲家ムチーニョとは「
」などがある。
共演した女性歌手にはマリア・クレウザ、マリア・ベターニア、ミウシャ、ジャニ・ドゥボックやイタリア人女性シンガー、オルネッラ・ヴァノーニなどがいる。
86年の初来日では、サックス奏者の渡辺貞夫と共演(ライブの模様はアルバム『Vamos Juntos』(86)収録)。98年にはパウリーニョ・ダ・ヴィオラと共に、アルバム『Sinal Aberto』をリリースし話題を呼んだ。2000年に入ると自伝DVD『Toquinho』をリリース、2003年には久しぶりのスタジオ録音となったソロアルバム『So Tenho Tempo pra Ser Feliz』を発表。リオのコンサートホール、カネカォンで行われた同アルバムのライブはDVDがリリースされている。
ソロ、共作を合わせて70枚以上のアルバムをリリースしているトッキーニョは、2005年に入り、キャリア40周年を祝ったツアーをスタート。南米やヨーロッパを精力的に回る。また、2005年後半には新作のリリースも囁かれている。
トッキーニョはギター&ヴォイスの独創的な世界を作り出したブラジルが誇るアーティストである。
♪代表曲
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